From Seattle, WA, USA
by Alex
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シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。

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運命を感じた東欧への旅: 暗黒の歴史、アウシュヴィッツ
暗黒の歴史、アウシュヴィッツ … 8月22日(火)

 アウシュヴィッツ(Auschwitz)。たぶん学校の授業で習ったとは思うんだけど、ヒットラーの時代にユダヤ人が大量虐殺された場所、それだけの知識しか僕は持っていなかった。日本では学校で習っただけだけど、アメリカに来てからもっと頻繁に映画やドラマで耳にする機会が多くなった。はっきり言って、僕は落ち込むのが好きじゃない。重いテーマの映画は大嫌いだし、ハッピーエンドじゃないと絶対に観る気がしない。それでもアウシュヴィッツの近くにいる以上、ここは絶対に行っておかなければいけないような気がした。たぶんツアーの他のみんなも同じような考えだったんだろう。ツアーのベースには組み込まれていないオプショナルツアーだったんだけど、全員申し込んだらしい。

 アウシュヴィッツは、クラクフから車で約1時間半離れているオシフィエンチム(Oświęcim)という街にある。当時は“囚人”の登録場所であった建物が、このアウシュヴィッツ博物館の入り口になっていて、ここでガイドのMagda(マグダ)に会い、彼女に連れられて暗黒の歴史のある建物群へと移動していく。囚人の収容所への入り口には、有名な門がある。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれたこの門。いくら働いても決して自由になることはできなかった人々の空しさが刻み込まれている気がする。

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アウシュヴィッツの門

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いたるところに高圧鉄線が

 建物の中は撮影不可だったので(っていってもバンバン撮影している人もいたけど)写真やビデオは撮れなかった。でも中でも一番グッと来たのが、ある部屋にガラス越しに置いてある髪の毛の山、山、山。ここで殺された人々の生の髪の毛。ここで起こったことが、お話でも言い伝えでもない、紛れもない事実なんだということを思い知らされてしまった。なんで人間が同じ人間に対してこんなことをできるんだろう? この髪の毛を見た瞬間、自分の中の感情のグラスが一杯になってしまって、注意しないと泣き崩れてしまいそうだった。感情を切り離さないといけなかった。グループのほとんどの人が涙を流してたけどね。Annなんかはもうほとんど泣き崩れそうになってた。「新しい門出」を夢見てきた人たちの生活用品の数々。子供たちのたくさんの靴。当時殺された人々の“囚人写真”。どれも心に重くのしかかってきた。

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「死の壁」では人々が銃殺された

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新しい人生を夢見て来た人たちなのに

 「死の壁」で銃殺された人たち。「飢餓室」で飢えて死んだ人たち。「立ち牢」に入れられて休むことも許されずに力尽きて死んでいった人たち。シャワーだと告げられて裸にさせられて入ったガス室で、天井からチクロンBという青酸カリの錠剤を投げ込まれて、苦しんで死んでいった人たち。ガス室が初めて使われた時には、ナチ側もどれだけ錠剤を投げ入れたらいいかわからずに、最初の実験台になった人たちは二日間も苦しみぬいた後に亡くなったらしい。短時間にどれだけ多くの人の命を奪えるかという、「人の死の生産率」がここでは計算されていた。こんな想像もつかないようなことが、たった60年前に実際に起こっていた。

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絞首台

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ガス室への入り口

 アウシュヴィッツでの実験を元に、より「生産性の高い」収容所としてできたのが、ビルケナウ(Birkenau)と呼ばれる場所。ここはアウシュヴィッツから車で約20分のところ。ナチの証拠隠滅のためにかなりの部分が遺跡化しているけど、一つの狭いベッドに3人から4人の人を詰め込んだりとか、アウシュヴィッツよりもさらに輪をかけて非人間的な扱いをしていたらしい。今は草や花が咲き乱れる平和的な光景なんだけど、つい60年前はここはまさに地獄だった。

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証拠隠滅のためビルケナウは半分遺跡化している

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人々が捕らえられていた建物の中

 僕は観光名所に行くと、そこの場所のことを説明したDVDを買うのが好きで、アウシュヴィッツでも見学後にDVDを買おうと思っていた。でも実際に見学を終えてみると、あまりの悲惨さにDVDを買って後で家でも見ようという気にはとてもとてもなれない。でもこの世の地獄を知っておくというこの体験、僕の人生にとってとても貴重なものになったと思う。もう二度とこの場所には来たくないけど。

 帰りのバスの中で、BobがDariuszに、ポーランドが民主化される前と後の暮らしの違いはどうだったのかを尋ねた。どれだけ仕事をしても貰うものは同じなので、タイムカードだけを押して後は仕事をサボる奴がたくさんいたらしい。食料品の買い出し(配布)も、かなりの長さの列に並ばなければいけなかったので、ほとんど一日がかりの仕事だったらしい。車を買うにも家を買うにも、申し込んでから9年くらい待たなければいけなかった。車も自分で車種や色を決められずに、まわってきたものを自分のものにするしかなかったらしい。政府の都合でその待ち時間が延ばされることも少なくなかったということを聞いた。共産主義が終わった後は後で、貧しい状態から脱出するのにかなり時間がかかったみたい。普通に仕事をしていると雀の涙ほどの給料しか貰えないので、Dariuszは裏で密輸もしていて、それで大儲けしたらしい。大罪のように思えるけど、そのころはたくさんの人がやっていたんだって。でも一度捕まってしまって、それでやめることになったらしい。貯めたお金でアメリカに渡り、ホテルでサーバーやバーテンの仕事をしてお金をどんどん貯めていったんだって。クラクフに帰ったときにはそのお金で家と中古のBMWを買って、クラクフの中では裕福な暮らしを始めることができたらしい。それから自分でガイドの会社を設立して今に至るとのこと。なんともいえない波乱万丈な物語だよなぁ。笑顔で淡々と語ってくれたけど、当時の苦労は並々じゃなかったと思う。日本やアメリカに比べると、ポーランドは今でさえ物価が安いけど、民主化直後は今の比じゃなかったらしい。今の予算で昔のポーランドに行ったとしたら、王様のような扱いを受けられたみたい。結局のところ、このDariuszの話が僕にとってのクラクフでのハイライトの一つになった。実際に暮らしていた人の話は本当に説得力がある。自分の生活がいかに恵まれたものであるかを、再認識してしまった。

 二日間のDariuszにお礼と別れを告げ(チップもうーんとはずんで!)、ついでにレストランのオススメも教えてもらうことにした。当初のプランではChłopskie Jadłoというレストランに行こうかと思ってたんだけど、彼の話によると二日前に行ったPod Aniołamiとそんなに変わらないらしい。「もっと安くて楽しいところがあるよ」と教えてくれたのが、C. K. Browar(C. K. ブロヴァール)という場所。ここは店でビールを醸造しているところで、ビヤホールのような感覚で楽しめる場所らしい。そんじゃそこに行くことに決定! グループ内のビール好きに声をかけようと思ったら、あれよあれよという間に話が広がって、ほとんど全員で行くことに。んー、グループを引率するつもりはないから、行きたかったらロビーに7時集合ねーって言うだけにしておいた。

 最初は歩いて行こうかと思ってたんだけど、なんとなく雨もパラついているんで、ホテルにタクシーを呼んでもらって分乗して行くことに。C. K. Browarは、入り口から地下に潜ったところにある(クラクフってみんなこんな感じ?)、まさに若い人むけのビヤホールといった感じの場所。アメリカとかだと、ビールをたくさん頼むときにはピッチャーに入ってくるけど、ここではなんと大きな筒にビールが入っていて専用の注ぎ口がついてるデカイものを運んできてくれるらしい。まず最初に、サーバーがここで作っているビール各種のサンプラーを持ってきてくれた。色々と味があって楽しいけど、僕はやっぱりライトビールかな。っていっても、普通の“ライトビール”とは違ってちゃんと濃厚な味がするから嬉しい。普通はビールがあまり好きじゃない僕も、こんな感じのビールだったら、雰囲気でいくらでも飲めちゃう気がする。

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C. K. Browarは楽しいビヤホールって感じ

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ビールのピッチャーにビックリするBobとAdam

 ライトビールのデカイ筒を持ってきてもらって、僕が頼んだ食事はポーク・メダリオン、マッシュルームソース。これにはフレンチフライが山ほどついていて、別皿で付け合せ各種もついてくる。ビヤホールらしい大味な感じだったけど、なかなか美味しかったんじゃないかな。もうちょっとソースがたっぷりかかってたらよかったのにな。音楽が大きくて声を張り上げて喋らなきゃいけなかったけど、なんだか学生時代に戻ったかのような感じで、とても楽しかった。みんなもかなり飲んでたと思う。帰りは希望者だけで、Dariuszに教えてもらったバーへ。僕はそこでやっぱりズブロッカのソーダ割りを飲んだりしてたけど、次の朝はまたチェコに向けて長いバスの旅なので、11時以前にはバーを出てみんなで歩いてホテルまで帰った。結構酔ってたから、冷たい風が頬に当たって気持ちよかった。

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ポーク・メダリオン
うーむなかなか

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by alexsea | 2006-08-22 00:00 | 旅行記 | Trackback | Comments(0)
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