From Seattle, WA, USA
by Alex
プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。

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カテゴリ:エッセイ( 36 )
緑色の光の場所
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ずっと頭から離れない光景がある。子供の頃住んでいたマンションから見えた景色。

中野坂上の近くのマンションの10階に住んでいたのは、小学校低学年のとき。夜にベランダのある南の方角を眺めると、ポツポツと灯る家々の光や街灯の中に、少し大きめの緑の光が見えた。気のせいか、その光の中に何かが動いているようにも見えた。

古い双眼鏡で覗いてみると、その緑色の光は公園の街灯のような感じで、動いていると思ったものは、強い風で揺れている木々のようだった。暗闇に浮かび上がる緑色の光の中でうごめく木々が、何かの生き物のようにも感じた。怖くはなかったけど、未知の世界を覗いているような気がして、とても不思議な感覚だったのを覚えている。

あの頃は周りの地図なんか持っていなかったから、その場所が家からどのくらい離れているのかもわからなかった。行って確かめたかったけど、子供だから夜に出歩くわけにもいかない。だからその緑色の光の場所のことは、ずっと今まで謎に包まれたままだった。

今回日本に行くことになって、西新宿の辺りをぶらつこうと思ったとき、Googleマップでその辺りを見ていた。ふとその緑色の光のことを思い出して、そのマンションの周りを衛星写真で見てみると、ちょうど光を見た辺りに小さな公園があることを発見。この場所のことは以前にも調べたはずなのに、なんで今まで気づかなかったんだろう?

その場所が見つかった瞬間、行ってみたい気持ちで胸がいっぱいになった。もしかしたら子供の頃見たあの場所じゃないかもしれない。あれから40年も経ってるんだから、ビルが建っていたって不思議じゃない。もしその場所だったとしても、今は緑色の光は見られないかもしれない。それでも、頭にこびりついた不思議な光景の謎を解き明かす可能性があるんだから、行ってみないわけにはいかない。というわけで、西新宿をぶらつくときに、その場所もルートに入れることにした。

公園に行った後にはマンションの屋上に上って、その場所がどう見えるかを確認したいけど、やっぱりセキュリティ上無理かなぁ。でも行ってみるだけ行ってみよう。今から本当に楽しみだ。

(写真はネットから拾ってきたもので、僕が撮ったものではありません)
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by alexsea | 2015-04-26 12:53 | エッセイ | Trackback | Comments(6)
ホームビデオ
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1991年に初めてビデオカメラを買ってから、主な旅行はもちろんのこと、ちょっとしたイベントなんかにも持って行って、ビデオの撮影をすることが僕の趣味になっている。

最初にビデオカメラに興味を持ったのは、フォトンのアメリカ遠征で、友達のELRICがハンディカムを持ってきてたときかな。今のビデオカメラに比べるとその頃のは二回りくらい大きかったんだけど、それでも個人がビデオカメラでホームビデオを撮影できるっていうのは、スゴイことに感じた。

その頃は確かソニー陣営のVideo8と、VHS陣営のVHS-Cのビデオカメラが対峙していた時代だったと思う。僕としてはVHSの画像の悪さはわかっていたし、一つのカセットで20分から40分しか撮影できないというのも、僕にとっては大きなネックの一つだった。カセット自体も大きかったし。だからELRICのハンディカムを見せてもらったときに、これなら!って気になっていた。

僕が初めてビデオカメラを買うことになったのは、SONYがHi8のハンディカムを発売したときのこと。最初の機種はCCD-TR705。普通のVideo8に比べて、Hi8の画像の綺麗さは歴然としていたことを覚えてる。それから手振れ補正が効くようになったCCD-TR900を買って、それでかなり長い間ビデオを撮ってた。光学式手振れ補正も素晴らしかったし、画像もとても綺麗だった。手を抜いてないなっていう感じがビシバシ伝わってくるような製品作りだった。結局Hi8のフォーマットは1991~1998年の間、とてもお世話になった。

DV(デジタルビデオ)のビデオカメラが出始めてからは、DCR-TRV9に続いてDCR-PC100というビデオカメラを購入。どちらも手振れ補正が電子式になってしまったのでガッカリ。光学式の手振れ補正は筐体が大きくなりがちだとはいえ、電子式は手抜きのような気がしてならなかった。でもさすがデジタル、画像の綺麗さには感動した記憶がある。1998~2009年まで、旅行に行くときにはずっとDVカメラを愛用していた。

2009年からは今使っているHDR-CX520V。このカメラはフルHDなので、画像の綺麗さは今までとは比べ物にならない。今までのビデオが子供だましに見えてしまうほど。内蔵メモリーに記録する方式なので、筐体もとても小さいし。かなり気に入ってたんだけど、あまりワイドに景色を撮ることができないので、次にSONYが新しいハンディカムを発表したら、それに買い替えようと思ってる。

写真と違い、動きや音も記録するビデオ。昔のビデオを見ると、その時の温度や匂いまで蘇ってくるような臨場感がある。昔の旅行のことをよく覚えていられるってのも、時々ビデオを見ているからなんだろうな。

ホームビデオの面白さをかなり早いうちに気づいて本当によかったと思うけど、惜しむらくは僕の最初の海外旅行や、卒業旅行のビデオがないってこと。特に卒業旅行の時点では、ハンディカムのようなビデオカメラももう発売されていたと思うので、無理してでも買って持っていけばよかったなぁと後悔。ビデオがあったらかなり楽しかっただろうにな。

ブラジルのレンソイスのビデオをYouTubeにアップしたときに、それがどんなに簡単かっていうのにビックリした。リミットは15分と決まってはいるものの、もしかしたら昔の旅行の面白い場面も、これからアップロードするかもしれない。


今日2.5TBのハードディスクが届いた。今までのホームビデオ+写真などで1TBのドライブがいっぱいになってしまったため。今コピーしてるんだけど、コピー終了まであと10時間ってどうよ??(笑) 早くUSB3.0かサンダーボルトが主流になって、転送速度が上がりますように~!
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by alexsea | 2011-09-07 21:03 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
「人であることについてのルール」
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今日ネットを徘徊していて、"Rules for Being Human"(人であることについてのルール)というリストを見つけた。最初は面白いパロディだなくらいにしか思わなかったんだけど、読み進めるうちに、これは本当に「自分より大きな何か」が作ったリストなんじゃないかという気さえしてきた。

一つひとつ、とても当たり前のようなことばかりなんだけど、繰り返される毎日の中で、たぶん忘れてしまっているようなこともあると思う。自戒を兼ねて、ちょっと日本語に訳してみた。本当にいろいろなことが起こっている世の中だからこそ、自分の土台をしっかり見つめ直したい。

「人であることについてのルール」

1. あなたは体を手に入れます。体についての好き嫌いはあるかもしれませんが、今回はその体を一生涯持ち続けることになります。

2. あなたはレッスンを学びます。「人生」という名の全日制の学校に入るのです。毎日この学校において、レッスンを学ぶ機会を与えられます。レッスンを好きだと思うかもしれませんが、無意味でくだらないことのように思うかもしれません。

3. レッスンに間違いは存在しません。試行錯誤や実験こそが成長の過程なのです。「失敗」した実験は、最後には「成功」する実験の過程であるに過ぎないのです。

4. レッスンは学ぶまで繰り返されます。あなたが学ぶことができるまで、様々な形であなたに提供されます。それを学ぶことができたら、次のレッスンに進むことができます。

5. レッスンを学ぶことに終わりはありません。人生において、レッスンが含まれていない時点などあり得ないのです。生きている限り、学ばなければならないことがあります。

6. 「あそこ」が「ここ」よりも良いなどということはありません。あなたにとっての「あそこ」が「ここ」になったとき、「ここ」よりも良く見える「あそこ」がまた見つかるはずです。

7. 他人は単にあなたの鏡でしかありません。他人に対する愛や憎しみは、自分自身に対しての愛や憎しみが反射されたものにすぎません。

8. 人生をどうするかはあなた次第です。ツールや資源はあなたの目の前に用意されています。それで何をするかはあなたに任されています。すべてはあなた次第なのです。

9. 答えはあなた自身の中に眠っています。人生に関する疑問の答えも、すべてあなたの中にあります。単に見たり、聴いたり、信頼したりするだけでいいのです。

10. あなたはこのルールをすべて忘れます。

-匿名
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by alexsea | 2011-03-28 22:15 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
レストラン
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家の隣に住むBenが来週40歳になるので、彼の好きなメキシコシティでバースデイ・パーティーを開くらしく、僕にもお誘いがかかった。全部で14人くらいのグループで約1週間、メキシコシティをあちこち観光したりレストランに行ったりするんだけど、そのうちの2日くらいのディナーは個人の自由。それでは、ということでメキシコシティのレストラン情報を調べていた。

ネットで色々な情報を調べているうちに、つくづく僕って美味しい料理が好きなんだなぁって実感した。日本にいるときもそりゃ美味しいものは好きだったけど、レストランのことを細かく調べてまで美味しい場所に行きたいとは思っていなかった。

僕が「目覚めた」のはアメリカに来てから。シアトルに来てすぐにレストランや観光地を紹介する "Seattle Best Places" という本を買ったんだけど、この本で当時最高の4つ星を取っていたレストラン、Dahlia Loungeに行ったときに全てが変わった。

何を食べたのかは全く覚えていないけど、そこの食事を味わったときに経験した感動はいまだに記憶に残っている。「こんな世界があったのか!」という雷に打たれたようなショック。会話を突然中断して、顔も自然に微笑みながら、口の中から体全体に広がる幸福感をゆっくりと味わっていた。

それからはもう美味しいレストランの虜。一年も経たないうちに、Seattle Best Placesに載っていたレストランを70軒近く制覇していた。よく金がもったものだと今では関心するけど、当時はまだ「長期出張」だったので会社がアパートも車も払ってくれていたし、かなり慎ましく生活していたので大丈夫だったんだろう。レストランに行くとき以外はほとんど金を使わなかった。そのかわりエンゲル係数はものすごいことになっていたと思う。今では絶対にあんなペースじゃ外食できない。だから旅行に行くときくらいは、宿代を削ってでも美味しいという評判のレストランで食事したいと思っている。

ネットを調べているうちに「世界のベストレストラン50」という記事を見つけた。このリストを見ると、トップ50の中には僕が今まで訪れたレストランが5つランクインしていて、それはどれも頭のてっぺんからつま先まで僕を幸せにしてくれた場所ばかり。今度メキシコシティで行きたいと思っていたレストランも今年トップ50の中に初登場しているから、ここはかなり期待できそうだ。

最近、このレストラン好きをどうにかして僕の人生に役立てられないかなぁと考えるようになった。料理を「作る」方は今のところあまり興味がないんだけど、やり始めたら好きになるかもしれない。ジュリア・チャイルドだって、本格的に料理に取り組み始めたのは30代後半だったし。僕もまだ遅くはないかもしれない。

昨日見た夢で、僕はあるイベントに参加していて、そのスタッフの一人がレストランのレビューで有名な Gayot に勤めていると判明。Gayotでの仕事がどんなものなのか尋ねたくて、その人に話しかける順番待ちをしていたところで目が覚めてしまった。この夢、僕の人生の方向性について何か暗示するものなのかもしれない。

そうであってほしいな。
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by alexsea | 2010-06-20 13:57 | エッセイ | Trackback | Comments(6)
懐かしのメロディたち
今朝起きたら頭の中に昔よく聴いていたメロディが鳴り響いていて、懐かしくなったのでネットで検索してみた。いやー、出てくる出てくる。芋づる式に、昔大好きだったけど僕のライブラリーにはない曲を次々と掘り起こしてしまった。もう20年以上聴いてないのに、歌詞もメロディも覚えてるもんだねー!

古い順から行くと……
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贈る言葉
中一のときだった。『3年B組金八先生』のテーマだったんだけど、番組自体は観てなかった。『新八』に出ることが決まってから観始めたんじゃなかったかな。この曲を聴くと、新八のときのスタジオやロケのことが思い出される。みんなでYMOとかシャネルズとか、スネークマンショーのことをワイワイ話してたっけ。この曲自体は中学でも歌ってて、ピアノでも伴奏をしたことがある。こないだ弾いてみたら、結構スラスラ弾けてビックリした。やっぱり子供の頃の体の記憶ってのは、いつになっても忘れないものなのかな。

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太陽のユートピア
これはテレビの単発ドラマのテーマソングだったんだけど、予告編みたいなのをしつこいほどやってた。この主題歌も予告編に使われてて、かなり耳に残るいい曲だったんでレコードも買ったんだったと思う。当時は竹内まりやとか、英語の曲にすごく興味があった頃だったんで、この英語の歌詞は頑張って覚えた気がする。今聴いてみたら、日本語の部分はあまり覚えてないのに、英語の歌詞だけは少しも間違えずにスラスラ出てきたのが笑った。いい曲だよねー。このドラマのことはあまり覚えてないんだけど、坂上忍くんが出てたのはハッキリ記憶にある。彼とは『大草原の小さな家』で共演したんだよなぁ。

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バイバイ子守唄(ララバイ)
あー、もうこの曲は本当に好きだった! それと同時に、この曲が主題歌だったドラマ『ダウンタウン物語』は毎週欠かさずに観るくらい好きな番組だった。もうストーリーは忘れちゃったけど、桃井かおりさんが主役で、これで一気に彼女の大ファンになっちゃったんだよな。ドラマが終わっちゃったときには心に空白ができた気がするくらい、ものすごく入れこんでた。今でもゴスペル系の音楽が好きだってのは、この曲が原点にあるのかもしれないな。

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星空のエンジェル・クイーン
映画版のアニメ『1000年女王』のテーマ曲。喜太郎作曲の歌謡曲なんて珍しいよね。英語の曲だってことですごく好きだった。今聴くと幼稚な歌詞に感じてしまうけど、あの頃はウォークマンに入れていつも持ち歩いてる曲だった。『1000年女王』のアニメ自体も結構好きだったな。

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光の天使
アニメ『幻魔対戦』のテーマソング。他のアニメとはちょっと違った、大人も楽しめるアニメって感じは僕にとっては初めてだった。単純なメロディなんだけど、サビの部分がすごく好き。ちょうど『バイファム』が始まるちょっと前だったんじゃないかな。これを聴くと、高校の風景が目の前に浮かんでくる。

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恋におちて -Fall In Love-
これが今朝頭の中で鳴り響いていた曲。この曲は、大学一年のときに初めて海外に出たときのことを思い出す。好きな曲を色々とカセットに入れて、オーストラリアまで持って行ったもんな。確かこの曲の次にカセットに入っていたのは、Billy Joelの『You're Only Human』。こういう繋がりを覚えてるってのは、ランダム・アクセスがきかないカセットならではのこと。自分の片想いを胸に抱きながら聴いてたっけ。

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ダイアモンド
この曲を聴いて真っ先に思い浮かぶのは、なんといってもフォトン。この曲にあるように、フォトンで体験したすべてのことが本当にキラキラと輝いていたことを思い出す。この曲のフォトン用替え歌を作って、ファイナルラウンドで優勝した後にみんなで歌ったりもした。あの時の高揚感が胸に蘇える。

本当に音楽って、それを聴いてた時期の風景や匂いまでも思い出させてくれる、不思議なメディアだと思う。今お気に入りのLady GaGa『Bad Romance』なんかを10~20年後に聴くと、一体何を思い出すんだろう?
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by alexsea | 2010-02-22 00:04 | エッセイ | Trackback | Comments(4)
ピアノ
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なんとなく、ピアノのことを書きたくなった。

先日書いたゲーム『大神』のピアノ・アレンジ楽譜をネットで見つけたので、最近ちょっと時間があると弾いてみたりしてる。ピアノ・アレンジとはいっても、とても簡単な楽譜なので、僕でもちょっと練習すればすぐに弾けてしまうくらいのレベル。昔からそうだったけど、やっぱりピアノを弾いているとストレスが解消される気がする。車の中でもピアノ音楽をかけてるとすごく落ち着くし。やっぱりピアノは僕にとって、とても特別な楽器らしい。

ピアノ、というか、オルガンを弾き始めたのは2~3歳のときだったらしい。母が誰かから貰ったオルガンが家にあって、それをいつも弾いていたらしい。僕はあまり覚えてないんだけど、そういえば『おおスザンナ』かなんかをオルガンで弾いてた記憶がかすかにある。

僕があまりにも興味を持っていたので、多摩ニュータウンの方に引っ越ししてから母がピアノを買ってくれた。生活が苦しかったというのに、かなり無理をして買ってくれたみたい。4歳くらいのときだと思う。あまり記憶にないんだけど、同じ団地のどこかにピアノを習いに行き始めたらしい。

この頃から僕は音楽にすごく興味があったみたいだ。小さなレコードプレイヤーはいつもそばにあったし、保育園でかかる『カッコウワルツ』のレコードもずっと聴いてた。裏面が『ユーモレスク』だった。押入れの中に自分の「基地」を作って、そこで『ユーモレスク』をかけて聴いてたことは今でも鮮明に覚えてるんだよな。

この頃の僕にとっての大ヒットは、なぜかフォークダンスのレコード。フォークダンスの音楽を集めたLPを2~3枚持ってて、擦り切れるほど聴いてたのを覚えてる。なんでフォークダンスだったんだろう? たぶん保育園でダンスを習ったかなんかで、音楽も好きになったんじゃないかな。

はっきりと覚えてるのが、母親にフォークダンスのレコードを買ってきてと頼んだんだけど、母のスナックのお客さんに「そのくらいの年齢だったらクラシックを聴かせなきゃ」とか言われたらしく『ウィリアム・テル序曲』か何かを買ってきて、「こんなんじゃない!!」ってダダをこねたこと。そりゃフォークダンスを期待して聴いたら全然違う音楽だったんだから、その落差は激しいよな。

中野に引っ越してからも週に一度はピアノを習いに行ってた。「ピアノの発表会」には2度出た覚えがある。自分でなんとなく作った短い曲をピアノの先生に聴かせたらすごく気に入ってくれて、発表会でも弾かされてしまった。でもこの頃からだったかな、ピアノ以外にも色々な興味が出てきてしまって、家でピアノを練習したり、レッスンに行くのがちょっと億劫になってきてた。だから小5のときに引っ越しした後は、ちょっとの間はピアノを続けたけど、先生が変わったこともあってなんとなくレッスンに行かなくなってしまった。小学校や中学校では発表会とかでピアノの担当をしたりしたけど、この先は全て独学になってしまった。あの時やめずにずっと続けてたら、もっと自由自在にピアノを弾けるようになってたかもしれないなぁ。

高校時代、杉並に住んでいた時期があって、そこでもやっぱりピアノを時々弾いてたりしたんだけど、また新宿に引っ越すときにもう場所的にあまり余裕がないということで、その頃通っていた劇団にあげることにした。「まーあまり弾かないから、いっか」なんて軽く考えてたんだけど、ピアノを運び出しに運送屋が来たときには、それまでのピアノとの思い出が急に蘇ってきて、風呂場に行って大泣きしてしまった。あれには自分でも本当にビックリした。あんなに悲しい気持ちになるとは思ってもみなかったもの。でもよく考えてみると、昔からずっと一緒に過ごした友達のような存在だったもんなぁ。

アメリカに来て、シアトルのアパートに移り住んですぐに電子ピアノを買い込んだ。やっぱりピアノがそばにないと僕はダメみたいだ。嬉しいとき、悲しいとき、ただ退屈なときに、ピアノと会話をしてみる。もうだいぶ指が動かなくなってしまった気がするけど、中学や高校のときに習った曲を弾くと、まだ指が覚えてるんだよね。その頃の情景も頭の中に蘇ってくる。ピアノは僕にとって、ちょっとしたタイムマシンかもしれない。

さて、もうちょっと『大神』の曲を練習しますか。
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by alexsea | 2009-02-28 16:06 | エッセイ | Trackback | Comments(6)
ハングリー・ハンフリー
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さっきmixiでなにげに検索したら、出てきてしまった『ハングリー・ハンフリー』のコミュニティ。あまりにも懐かしくて、昔の思い出が溢れ出てきてしまった。

ハングリー・ハンフリーは、新宿ゴールデン街にあるウォッカ主体の飲み屋。名前からわかるように日本風の飲み屋ではなく、古きよきアメリカ風といった感じの場所。とても狭い場所なんだけど、本当に雰囲気がよくて、食べ物がどれを頼んでも美味しすぎ! 日本にいるときには本当に足しげく通っていた場所。僕の一番好きな飲み屋だ。

初めてハングリー・ハンフリーに連れて行ってもらったのは、確か中学か高校の頃。その頃よくコンピュータを使いに通っていた、タンディ・ラジオシャックの人たちに連れて行ってもらったんだった。まだ子供だったし、ギシギシ言う急な階段を上るときには「どんな所に連れて行かれちゃうんだろう?」と結構ドキドキしてたのを覚えてる。でも正直言って、この初めてのときのことはよく覚えてない。このときのことを思い出したのは、二度目に誰かに連れて行ってもらったとき。ここのメニューにあるガーリック・トーストを食べて、「あれ? この味、覚えがある…!」と、前に来たことを思い出したんだった。

それからはもう月一以上のペースで通いつめてしまった。大学の友達やバイト先の人をよく連れて行ったっけ。今はどうか知らないけど、予約ができない場所だったんで、店がオープンする時間(6時半だっけ?)にいつも行ってた。小さい店だし当時でも大人気の場所だったので、7時か7時半にはすぐに満席になっちゃってた。

ここはビールもウィスキーもあるけど、なんといっても主体はウォッカ! ここで生まれて初めてウォッカを味わったんだった。最初は赤いラベルのStolichnayaをグレープフルーツジュースで割って飲んでた。でも後に誰かと一緒に行ったときに、その人がズブロッカ(Zubrowka)のボトルを入れていて、それを初めて飲ませてもらってからはもうズブの虜。それからはずっとずっと、ズブロッカのソーダ割り。バイソングラスの香りがウォッカについていて、それが個人的な好みと大マッチ。アメリカでも売ってることを最近発見したので、大量に買い込んで家でも飲んでたりする。でも高いんだよなー、アメリカのは。一瓶$28くらいしちゃう(泣)。

思えばハングリー・ハンフリーで初めて「ボトルを入れる」ことをしたんだ。何回か行った後に、名前を言う前に僕のボトルを出してきてくれたときには、本当に感動したなぁ。顔を覚えてもらうってことが、あんなに嬉しいものだとは知らなかった。まぁその頃から "Alex" って名前を使ってたから、珍しかったから覚えてくれたのかもしれないけど(笑)。

ここで特筆すべきは食べ物の美味しさ。メニューに書いてある何を頼んでも美味しい! ここのSignature Dishとも言える「ミートボール・カレー味」は本当に深い味わいで、一緒についてくるパンをちぎって浸して食べると、もう感動の極致。「ガーリック・トースト」は、初めて食べたときの記憶を揺さぶり起こすほどのインパクトだし、「明太子とポテトのサラダ」は軽くて、でもピリッとした明太子の辛さが箸休めにピッタリ。「バジリコ・スパゲティ」もシンプルながらにとても満足のいく味だし。弾丸のように注文しまくって、ズブロッカと一緒に食べまくる。これですよ、これ。

この場所には、僕の楽しい思い出がたくさん詰まっている。新しい友達を作るたびに連れて行ってた。その友達がまた別の友達を連れて行ったりして、ある時にはバッタリ店で会ったりして(笑)。ハングリー・ハンフリーに行くと、いつもハッピーになってた。僕の大事な宝物の場所。

えーん、書いてたら行きたくなってきたよう…。前に行ったのって2003年の9月に日本に行ったときだもんなぁ。なんとかして日本に行くキッカケを作らなければ…!
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by alexsea | 2007-03-23 11:51 | エッセイ | Trackback | Comments(5)
80s Music
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僕の所属するコーラスで "That '80s Show" という80年代の音楽ばかりを集めたコンサートを今月末にやる予定。昨日もリハーサルがあったんだけど、夜中に目が覚めてみると、頭の中には昨日練習した80年代の曲がリピートしまくっちゃってまた眠りにつけない…。せっかくだから80s Musicのことを書いてみたくなった。

僕の80年代は、TVでやってた『ベストヒットUSA』をなくしては語れない。小林克也がVJ(ビデオ・ジョッキー)をやってて、週に一度洋楽のヒットチャートを教えてくれるという番組。深夜番組だったけど、毎回すごく楽しみしてたことを覚えてる。ちょうど音楽にプロモーション・ビデオがつき始めた頃で、MTVが生まれたのも80年代頭だったと思う。

一番最初に見たPVは確か中学の頃で、Hall and OatesのPrivate Eyes。これはテレビで放送してたのをたまたま見たんだと思う。たいしてすごいビデオじゃないんだけど、パーカッションと同時に画面をフラッシュさせたりとか、音楽と映像をシンクロさせるっていうのがすごく新鮮に感じた。

次に印象に残ったのが、『ベストヒットUSA』で放送されてたJ. Giles BandのCenterfold。初めて見たときから、このビデオに出てくる黒髪のショートヘアの女の子の、表情のないマネキンのような顔が忘れられなくなってしまう。結局この曲が僕にとって初めて自分のお金で買った洋楽シングルになった。兄はそのとき「これ本当にお前が買ったのか?!」とか言って、ひどく驚いていたのを覚えてる。

Olivia Newton-Johnが大好きになったのもこの頃。Physicalで80年代ブレイクを果たした彼女だけど、この曲の前は有名なカントリーシンガーだったことを知ったのはちょっと後になってから。この曲と同時に発売されたビデオ集も、LDを買って電気屋でビデオに落としてもらって、毎日のように見てた。ちょっと後にJohn Travoltaと共演した "Two Of A Kind" という映画のテーマソング、Twist Of Fateは、僕にとって彼女のベストソングの一つ。キレイだし歌も最高に上手いし、本当にOliviaは僕のディーバだ。

高校に上がる頃からは、ヨーロッパ、特にイギリスからの "New Wave" と呼ばれる音楽がヒットチャートの上位に並んでいた。Duran DuranのRioとか、カッコよすぎてハマるハマる。でもいまだに忘れられないメロディなのが、Save A Prayer。確かスリランカで撮影されたこのビデオ、メロディと相まって、本当に目が離せなかった。5人のメンバーのうちで誰のファンかということで、洋楽ファンの友達と盛り上がることしきり(ちなみに僕はドラマーのRoger Taylor)。

時を同じくしてハマったのが、Culture ClubのDo You Really Want To Hurt Me?。Culture Clubはその頃、あらゆる意味で非凡だったと思う。洋楽初コンサートはCulture Clubだったもんなぁ。コンサートなんてどうやって行くのかわからないかったので、NHKホールの当日券を一日がかりで並んでゲット。2階か3階席ですごく遠くに小さく見えるBoy Georgeに感激してた。Karma Chameleonも本当に大好きな曲。コンサートでBoy Georgeがいきなり「セーンソー ヘンターイ」って歌いだしたときにはビックリしたけど、The War Songも忘れられない曲の一つ。これを聴くとあの頃住んでいた代田橋の家が思い出される。

d0113429_23273181.jpg忘れてはならないのがEurythmicsのSweet Dreams (Are Made Of This)。このビデオも最初に見たときから頭から離れなかった。確か何かの賞を取ったんだったと思う。Eurythmicsは高校時代ずーっと好きだった。部屋にポスターを貼ってたんだけど、それを見た兄は「お前はこういう女みたいなヤツばかり好きなんだなぁ」だって。「それ、女だよ」って言ったらひどく驚いてた(笑)。まぁ以前Culture Clubのポスターも貼ってたことがあるからね。Eurythmicsのコンサートには、高校の洋楽好きな女の子と一緒に渋谷公会堂に見に行った。あれはもう感動・感激だった! 本当に音楽はそれを聞いていた頃の記憶を呼び起こす。Who's That Girl?はその頃すごく好きだった人のことが思い出されるし、Here Comes The Rain Againは高校2年の終わりの修学旅行を思い出させる。

Howard JonesはWhat Is Love?で騒がれてるのは知ってたけど、最初はあまり興味なかったんだよな。でも何かいいところがあるのかもしれないと思って借りてみたレコード(その頃は貸しレコード屋の全盛期!)、Human's Libに大感動。それからずっとファンになってしまった。武道館でのコンサートにも行ったよなぁ。劇団で一緒だった渕崎ゆり子ちゃんも一緒に。彼女はその日仕事があってすごく遅れてしまい、最後の一曲か二曲しか聞けなかったと思う。すごく可哀想だった。

Nik Kershawはあまり知る人は少ないと思うんだけど、The Riddle(ビデオが見つからない!)で有名になった人。レコードを借りてみて、へーいいじゃん!とか思って、それから大ファンになってしまった。彼独特の曲づくりっていうのかな、コード進行がすごく特殊で、なんだか聞いてて面白い曲ばかり。I Won't Let The Sun Go Down On Meとかも大好きな曲の一つ。確か新宿厚生年金会館で彼のコンサートがあって、行った覚えがある。

プロモーション・ビデオが僕にとっては80年代音楽の推進力だった。『ベストヒットUSA』はもちろん、テレビ神奈川でやってた日本版MTVのような番組を見るためだけにUHFアンテナを立てたりしたもんな。とにかく映像と音楽のシンクロは最高だった。A-HaのTake On Meなんかは僕の中でのベストビデオの一つだし。最近のプロモーション・ビデオは、みんな80年代のビデオの二番煎じって感じが否めない。しょうがないよね、あの頃アイディアが出尽くしちゃったんだから(笑)。

中学・高校・大学と、僕の学生時代を全てカバーした80年代。どんなに音楽が進化しても、どんなにビデオが面白くなっても、あの頃の音楽+ビデオが与えた僕への影響は絶対に超えられないと思うな。
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by alexsea | 2007-03-13 06:19 | エッセイ | Trackback | Comments(8)
英語
 なぜだかわからないけど、僕は小さい頃から英語に興味があった。今から考えてみても、どうしてなのかわからない。ただ漠然とした興味が最初にあって、それから全てがスタートしたんだと思う。

 一番最初に英語に触れたのは、小学校3~4年くらいのときに通ったLL教室だったと思う。これもどうして通うことになったんだか全然覚えてないんだけど、その頃よく遊んでいた山下くんという同級生と一緒に通っていた。でも英語を真剣に勉強するっていうよりも、遊び友達と一緒に学校と違う環境にいれるってのが楽しかったからだと思う。先生が若い女の人だったんで、授業中に先生をからかって遊んだりしてた。そういう面で楽しかったのは覚えてるんだけど、ここで英語を覚えたかどうかはちょっと不明。ただアルファベットというものに抵抗感を抱かないようになったのは、もしかしたらこのお陰なのかもしれない。

 次の英語との出会いは劇団に入ってからかな。劇団でみんなの世話を焼いてくれた西村先生が英語好きな人で、先生が僕の台本に書いてくれた筆記体の僕の名前が、すごくカッコよく思えたのをよく覚えてる。それと、運命的とも言えるある仕事との出会い。『学研のLくん』って知ってる? その頃学研は色々な教材を出してたんだけど、その『Lくん』シリーズで英語のカセット教材を出していたらしい。その“ケン”役で僕が声を当てることになった。この時のLくん役が、NHKの英会話番組で知ってる人もいると思うマーシャ・クラカワーさんだった。英語に対しての抵抗感はないものの、本格的に英語を声に出して“読む”のはこれが初めてだった。マーシャさんも先生役の男の人もとても親切に、根気強く僕に英語の発音の基礎を教えてくれた。僕が間違った発音をしたときには、「マーシャの口見て」と自分の口を指差して、ゆっくりと発音してくれた。このときに、TH、V、Rの発音なんかの基礎を覚えたんだと思う。スケジュールの関係上そういうリハーサルができないときには、マーシャさんが次の台本の英文をどう発音するかってのをわざわざ僕のためにテープに録音してくれていて、それを自分で聴いて練習することができた。今から思うと、ものすごく贅沢な体験をしたもんだと我ながらビックリする。この仕事があったからこそ、英語の発音の基礎を抵抗なく学ぶことができたんだと思う。これがなかったら、今の自分はなかったかも。それにしてもマーシャさん、どうしてるかな。もう一度会ってお礼を言いたい。

 「洋画の吹き替えをやってたのも影響してるんじゃない?」って母は言うんだけど、これは全く関係ないと思う。洋画の吹き替えは片耳で原音を聞きながらセリフを読むんだけど、原音を聞く理由は、セリフの出だしと終わりを合わせるためと、オリジナルの抑揚を掴むため。日本語のセリフを喋ってる間に英語を聞いている余裕なんてないし。他の人がセリフを読んでるときには原音を聞いていられるけど、英語を知らなければただの「外国語」だし、それを注意深く聞こうなんて気にもならなかった。

 同時期に出会ったのが、兄の買ってきた洋楽のレコードと、竹内まりや。兄はビートルズをよく聴いていたし、『幸せの黄色いリボン』なんて曲も聴いてて、僕は歌詞カードに書いてある対訳に感動してたことを覚えてる。竹内まりやは今でもよく聴いてるんだけど、最初に聴いてからすぐに彼女の唄が好きになっちゃって、よく一緒に歌ってた。一枚のアルバムの中には必ず一曲は英語の曲が入ってて、それも彼女の発音を真似しながら歌ったことを覚えてる。今でこそ彼女の発音にはほんのちょっとだけ日本人的な匂いを感じ取っちゃうけど、その頃は本当にキレイな発音だと思ったもん。“勉強する”英語と違って、まさに“歌いたいから”、“楽しいから”という理由で発音を覚えていった。

 またまた同時期に出会ったのが、タンディ・ラジオシャックという会社のTRS-80というコンピュータ。“コンピュータ”というものが、一般庶民の手に届くようになってきた最初の一歩の“パソコン”(その頃はマイコンって呼ばれてたけど)だった。アメリカ製だけあって、全てが英語。なにせ英語を読まなきゃ操作できないので、ここでも英語を勉強するハメになる。でもこれは会話英語とは全く違って、いわゆるコマンドとエラーメッセージを覚えるくらいだったけどね。本格的に英語を「読む」ことになったのは、あるアドベンチャーゲームを手に入れてから。アドベンチャーゲームってのは、自分がその物語の主人公になった感じで、コンピュータの中の仮想世界を冒険できるゲーム。今のゲームのように素晴らしいグラフィックなんかまだ可能じゃない時代だったから、その仮想世界を表現するのは全て英語。「あなたは四角い部屋の中央にいる。北には通路が続いていて、西側には鍵のかけられた窓がある。南にはクローゼット、東には壁にポスターが貼られている。どうしますか?」というような、画面一杯に出てくる英語を読まなければならなかった。でもさすがゲームというだけあって、これを遊びたい一心で、知らない単語を辞書で引きまくりながら、頑張って遊んでたことを覚えている。まだこの頃は小学校6年生か中学1年くらいだったから、文法なんかは全然知らない。でもなんとか単語を繋げて、あーこれはこういう状況なんだなってのを理解しながら、少しずつゲームを進めていった。思えばこれで辞書を引くのが速くなったんだなぁ。中学の英語の時間に、辞書を引いて訳を書いていくっていうテストがあって、他の人たちの倍くらいのスピードで終わらせたときには、先生が驚いてたことが思い出される。

 こうして考えてみると、僕って英語と本当にラッキーな出会い方をしたんだなって改めて思う。なぜ英語を学ばなきゃいけないのかわからないまま詰め込み式の教育をされたんじゃ、英語に対して悪印象を持つのも当たり前。もう少し違った出会いをしていれば、もっとたくさんの日本人が英語好きになってたかもしれないのに。僕は英語といい出会い方をした上に、歴史や高度な物理とは違って、英語だけは将来絶対に役に立つと思っていたので、英語を勉強することも苦にならなかった。いや、自分にとっては“勉強している”という気さえなかったのかもしれない。

 旅行記『初めての海外旅行 オーストラリア』にも書いたけど、オーストラリアの飛行機の中で、隣に座った韓国人の人と英語を媒介にして話ができたのは本当に感動だった。お互いに片言だったんだけど、ちゃんと意思の疎通ができたんだもん。日本語と韓国語という二つの言語だけだったら全く話せなかったのに、英語という共通な言葉を使うことによって、本当ならば話ができなかったであろう国の人とちゃんと会話ができる…。これは本当にショッキングな出来事だった。

 英語の読み書きは小さい頃からの興味によってかなり自信があったものの、英会話となると話は別。最初にアメリカに出張したときには、本当に心臓ドキドキ状態だった。英語の話せる上司と同室だとはいえ、ミーティングなんかも全て英語だったし、おまけに車の免許まで取る決心をしちゃったもんだから、運転の練習を教わるのも全て英語。かなり最初は緊張した。特に怖かったのが電話。顔を見ながら会話をするときには、相手のボディランゲージなんかで聞き取れなかった単語を補うことができるんだけど、電話ではそうはいかない。特に早口でバーッと喋られると、「???」な感じでパニックに陥ってしまう。こちらから電話をするときにも、まずメモに自分の言いたいことを全部英語で書き出しておいて、電話の前でゆっくり深呼吸をしてからダイヤルするようにしていた。電話は今でも僕の苦手領域の一つ。特に電話で名前を言われても、初めて聞く名前だと全然わからないんだよね。

 アメリカに住むようになって、僕にとって本当にラッキーだったことは、レドモンドからシアトルに引っ越してすぐに、いつも行動を一緒にできる友達と知り合えたこと。Timはフィリピン系だけどアメリカ生まれアメリカ育ちの完全なアメリカ人。Tomはアイルランド系のアメリカ人。Edはフィリピン育ちだけど、まだ10代の頃にアメリカに来て、アメリカ国民になってるし。毎日とはいかないまでも、ほとんど2~3日おきくらいにみんなと会って遊んでた。会話は彼らと付き合い始めてから急に力がついた気がする。英会話のクラスでは絶対に学べない微妙なニュアンスは、実際に体感してみないとわからない。誰かに会うというシチュエーションだけにしても、日本で学ぶ”How are you?” “I’m fine, thank you, and you?”という受け答えだけじゃなくて:

“How are you?”
“What’s up?”
“What’s new?”
“How’s it hanging?”

 なんていうバリエーションがあるし。最初の頃は”What’s up?”や”What’s new?”に対する答え方がわからなくて苦労したなぁ(一般的な答えは”Not much”や”Same old”など)。

 最初のうちは頭の中で日本語を考えて、それから英語に訳して話すって感じだったんだけど、最近ではほとんど反射になってる気がする。話をするとき、英語で考えて英語で話すって感じかな。これって難しいことのように思うかもしれないけど、長く英語に浸かった生活をしていると自然なことなんだと思う。理論で考えるよりも、その場の雰囲気で理解する。日本語だって、いちいち頭の中で「これはこういう意味だ」なんて理論的に考えてるなんてことはないしね。でも未だに慣れないのがジョークを言うときのタイミング。日本語だと相手の言葉に対してすぐにボケとかツッコミを入れられるけど、英語だとやっぱり少しタイムラグがあるので、「あっ!ここでこういうツッコミをしたい!」と思っても、それが口から出る頃にはもう会話の流れが変わってしまっていることが多々ある。これは悲しい。もっと慣れて、ポンポン冗談を言えるくらいになりたいな。

 もう世界の共通語になっている感のある英語。これによってどんなに世界が広がるかってのを、もっと多くの人に知ってもらいたいなぁ。同じ旅行をするにしても、現地の人と会話ができるのとできないのとでは、楽しみ方が全然違う。英語圏以外の国に行くと、本当にそれがよくわかる。“英語を学ぶ”っていう気の入れ方じゃなくて、“外国の人と話をしたいから、そのツールとして英語を使いたい”って姿勢の方が楽しいかも。英語はただの道具。それをどう使うかは個人次第。日本でも、この楽しさを前面に押し出した英語教育をお願いしたいな。


(おまけ)

 こっちでよく耳にするホメ言葉が、「君の英語は日本人的発音じゃないね」という言葉。逆に「日本人的発音ってどういうの?」と聞いてみると、やっぱりTHの発音とRの発音の間違いのことらしい。英語には日本語のような「あいうえお」の母音だけじゃないので、それを極めようとすると難しいんだけど(僕も鋭意勉強中)、子音の発音は実はポイントだけ押さえればすごく簡単な感じなんで、そのポイントをご紹介。子音の発音さえちゃんとしてれば、「日本人的発音」なんて言われない。母音の勉強はそれから後でも全然OKだと思う。

“TH”
 これは歯と歯の間に舌をちょっとだけ入れて、そこから空気を出すことによって発する音。”This”とか”That”は、「ディス」「ザット」じゃない。単語の中に”th”が現れたら、そこで歯と歯の間に舌を入れて息を出す。

“R”
 「らりるれろ」の”R”ではなく、舌を口の半分くらいまで巻いて音を出す。巻きすぎると逆に外国人っぽい発音になってしまうのでご用心(笑)。”Rice”は「ライス」ではなく、最初に舌を巻いてから「アイス」と言ってみるのがいいかも。「ライス」と日本語発音で言うと”Lice”(シラミ)のことになってしまう。

“L”
 これはあまり気にしなくて日本語の「らりるれろ」と同じ発音だと思ってればいい。実際にはちょっと違うんだけど、”R”の発音さえしっかりしてれば、”L”の発音は「らりるれろ」で全然おっけー。

“F”, “V”
 どちらも上の歯で下唇をちょっと噛んでから音を出す感じ。これは”TH”や”R”の発音に比べたら簡単だよね。でもこれをやるとやらないとじゃ意味がまるっきり違うことがある。下唇を噛まない”Base”と、下唇を噛む”Vase”とでは意味が全然違う。

 この4点さえ気をつけて意識しないで発音できるようになれば、きっと相手にもっとわかってもらえるようになるはず。…考えてみれば、学生時代の英語の先生の発音、最低だったなぁ(笑)。
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by alexsea | 2004-06-28 00:00 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
自殺
 7月30日は、僕が大好きだった友達の命日。彼が死んでから今年で7年になる。自殺だった。それまでに何人か親しい人の死を経験していたとはいえ、自殺という形で友達を失ってしまうのは初めてだった。

 電話で彼の死を聞かされたとき、最初の反応は「なんで?」。感じたのは悲しみではなく、体全体を包む脱力感。自分があまり悲しんでいないのが自分でも不思議だった。まるで、大きなショックが心に直接届くことがないようにと、シールドが張り巡らされていたような、とても奇妙な気分。全ての感情が半分くらいしか心に届いていないような気がした。

 自殺の原因はわかっていないらしい。ただちょっと前から精神的に不安定になっていたらしいことを後で聞いた。ボーッとした頭の中で考えたことが、ほとんど連絡を取っていなかったとはいえ、やはり自分はその程度の友達としか思われていなかったのかという一抹の悲しさ。もしもっと頻繁に連絡を取っていたらどうなっていただろう。自殺の直前あたりにもし電話で話をしたりしていれば、悩みを話してくれたりしたんだろうか。もしかするとそれで考え直していて、今でも生きていたかもしれない。今から考える分には全て “could’ve, should’ve, would’ve” なんだけど、どうしてもそんなことを思わずにはいられない。パラレルワールドじゃないけど、この時間の岐路を変えるのなんて、ほんの些細な決断やキッカケだったりするんだろう。

 やっと心のシールドが解けてきた頃湧き上がってきた感情は、悲しみと怒り。まさか人の死に怒りを感じるなんて思ってもみなかった。彼が悩みを話してくれなかったことに対しての怒り、悩みを自分で克服できなかったことへの怒り、生きることをやめるという安易な道を選んでしまった彼の弱さへの怒り、残された人々の気持ちを考えなかったことへの怒り。幽霊の類はまるっきりダメな僕だけど、この時ばかりは幽霊でもいいから会って、この怒りをぶつけたい気持ちで一杯だった。日本に帰った時に墓参りに行ったんだけど、その時に墓に向かって心の中で怒鳴ってた。

 忘れかけたころに夢の中に彼が出てくる。そのうち半分くらいは夢の中でも彼が死んだということを自覚していて、「どうして自殺なんかしたんだよ!」と問いただしている夢。彼は何も言わずに「そんなこと言ったって…」という顔をしている。こんな夢を見て夜中に目が覚めると、彼にもう二度と会えないんだということが心に直接圧し掛かってきて、不安と絶望と孤独感で息をするのも困難になる、いわばパニック・アタックを経験する。いてもたってもいられない感じで、心の中には悲しみが渦巻いていて、いくら息をしても酸素が足りないような感じ。他の仲の良かった友達とももう二度と会えないような気がしてきて、よけいパニックに陥ってしまう。明かりを点けて窓を開けて、15分くらい気持ちを落ち着ける努力をしないと治ってくれない、この苛立たしいパニック・アタック。そのきっかけを作ってしまったのは彼だ。

 自殺。自分で命を絶つってことってどういうことなんだろう。希望の光も見えなくなる暗闇ってどんなものなんだろう。誰のことも思い出せなくなるんだろうか。「生きていること」に少しの幸せも見つけだせない絶望を経験していたんだろうか。だとしたら何がそんな暗闇を作り出すんだろう。

 ちょっと前に母が話してくれた。ずっと以前、家計がとても厳しかった頃、母がスクーターに乗っていたときに、「このまま目を閉じて運転して、事故で死ねたらどんなにいいだろう」って一瞬考えたという。それを聞いてゾッとした。もし母がそれを実行していたら今の自分はない。どんな自分が今あったか想像もつかないけど、悲しさと怒りで心が壊れてしまっていたかもしれない。

 絶望の暗闇は確かに存在するらしい。その片鱗も見たことのない自分は、もしかすると恵まれすぎているのかもしれない。
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by alexsea | 2003-07-30 00:00 | エッセイ | Trackback | Comments(0)