From Seattle, WA, USA
by Alex
プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。

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匿名コミュニケーション
 人とのコミュニケーションって難しいよね。特に顔が見えないとなおさら。しかも自分のアイデンティティを相手に見せなくていいとなると、それがコミュニケーションにどんなインパクトを与えるやら。

 今日はインターネットという、とても不思議な世界のお話。

 最近シアトルの日本人向け情報ホームページに出入りしていて、そこのBBSに書き込むことも多くなった。「パソコン通信」の黎明期時代から顔の見えないコミュニケーションは慣れていたので、大勢の人に反感を買われないような口調はお手の物だと思っていた。ところがどっこい、今回ある書き込みに単に”(笑)”をつけたことから大論争に発展してしまって、はっきりいってビビってしまった。

 「”(笑)”はむかつく」
 「自分の文章に”(笑)”を入れるのは単に文章が下手」
 「きちんと文章で表現しないで誤解を招くような記号に頼ってしまうのがおかしい」

 なるほどねー。まぁ言いたいことはわかる。でも最初に「むかつく」という言葉を見たときに、「えっ? これって僕に向かって言ってるの? 面と向かって言われたこともないのに、名前も知らない会った事もない人にどうしてこんな言葉を使えるの?」と、カルチャーショックを受けた。なんだかインターネットの向こう側にいる人達が、僕の知っているこの地球上の人間じゃないようにすら感じてしまった。

 もちろん僕の中では”(笑)”は”(笑)”。単に笑いながら言ってるだけ、それ以上でもそれ以下でもない。嘲笑してるんだったら”(嘲笑)”って書くしね。自分では悪いことをしたなんて全く思ってない。でも掲示板の雰囲気を壊すのもイヤだったし、下手(したて)に出てみてこの攻撃的な人がどんな反応を示すかってのにも興味があったので、シンプルに「ごめんなさい。これから注意します」みたいなお詫びを書き込んだ。想像した反応として、「こちらこそキツイ言い方をしてすみませんでした」と謝ってくるか、もしくはその逆だと思っていた。結局その攻撃者は「これ以上追及するつもりはないのですが…」から始まり、自分が思うことを厳しい口調で書き連ねてくる。この時点でこの人と議論しても無駄だと思ったので、これ以上は何も書かなかった。何を書いても、この人にとっては納得がいかないだろうしね。

 その後のやりとりを読んでいると、その攻撃者は他の人に「ああ言えばこう言う」と言われたことに対して、その人に攻撃を開始した。んー、正確に言うと攻撃じゃないな。自分が他の人よりも偉いということを書き連ねている。

 「いつからそんなに偉くなったんだ」
 「よっぽどいいもん書かなきゃ認めてやらない」
 「一人の心のひだを君たちにも分け与えてやったまで」

 すごいよ、この人。ある意味で感心してしまった。僕だったら絶対に一生使えないような言葉を、平気で他人に対して使ってる。

 ここでふと思ったのが、このBBSで本名とメールアドレスなんかが表示されていたら、この人はこういう表現を使えたんだろうかということ。このBBSは完全匿名制。どんな投稿者名も受けつけてくれる。この人は元々こういう性格なんだろうか? それとも匿名ということがこの人の心を不必要なまでに大きくしてしまっているんだろうか? もしかするとこの人は匿名という盾の影に隠れて、現実で言えないようなことを言って鬱憤晴らしをしているのかもしれない。そしてそれを見て噛み付いてくる人達を嘲笑しているのかもしれない。どうして素のままの自分を出せないんだろう? 怖いのかな? それとも現実とインターネットのダブル・ライフを楽しんでるのかな? ネット上でもこれ以上ないってくらい素のままの僕としては、本当に不思議な限り。

 もしくは人とのコミュニケーションの基本を本当にわかってないのかもしれない。そういう言葉の応酬をするのが、本物の議論だと思っているのかもしれない。もしこれを議論だと思っているならば、この人はとても損してると思うな。言いたいことはわかる。世の中に深読みしてしまう人もいるってことは初めて知ったし、その意味ではこの人に感謝してる。でも問題はそのアプローチの方法。もしこの人がこういう書き方をしていたらどうなっていただろう。

 「”(笑)”は深読みされると嘲笑のような意味に取る人もいるので、あまり使わない方がいいですよ」
 「あまり記号に頼らずに文章で表現するようにすると誤解も少なくなると思います」

 まぁ、インターネットのBBSごときで、こういう言葉遣いをするのは面倒くさいと思ってるのかもしれないけどね。

 そういえば今思い出した。先日このBBSで飲み会があったんだけど、その予約してあったレストランにその日、参加者以外の誰かが電話をかけてきてキャンセルしたらしい。レストラン名、時間、予約の名前なんかがBBSに書いてあったから、BBSを読んでいる人ならば誰でもキャンセルできてしまう。その話を聞いて開いた口が塞がらなかった。なんで? 僕たちの飲み会をキャンセルして、その人には何の得がある? ただの悪戯なんだろうけど、大人になってまで普通そういうことやるかな? 精神的に不安定な人が、僕たちが楽しそうに飲み会の話をしているのが気に入らなかったとか? ちょっと背筋が寒くなった。「あっちの世界ゾーン」とか読んで怖かったけど、なんだかんだいって生きてる人間の方が数倍怖いじゃん!とか思ってしまった。予定通りそのレストランで飲み会は開催されて、初めて会った人達ばかりの中で、とてもいい時間が過ごせたけどね。

 顔が見えない、名前が見えない、完全なブラックボックス。その中から文字だけが飛び出してくるインターネットの掲示板というパラレルワールド。ほとんどの人はコミュニケーションの場として使ってるんだけど、小数の人には鬱憤晴らしの場らしい。なんとも悲しい話ではあるんだけど、この世界には本当にいろんな人がいろんだなって、ある意味いい勉強になる。こういう経験をすると、心理学とか人類学とか本気で勉強したくなっちゃうから不思議だよな(笑)←あっ、また使っちゃった。僕にとってはマイナスよりもプラスの方が多い掲示板、これからまたどんな不思議体験をするか、ちょっと楽しみだったりする。
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by alexsea | 2002-08-31 00:00 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
演劇 - 後編
 高校受験も終わり、普段の平穏な生活が戻ってきた。と同時に、時間を持て余すような毎日に空虚さを感じ始める。受験で忙しくなる前は週に最低でも1~2日は劇団の仕事があって、手帳に書き込んでおかなければダメなような忙しい毎日を送っていたんだけど、「何も予定がない毎日」にすごく戸惑っていたことを憶えてる。今まで学校の友達と遊んだこともあまりなかったし、高校でもクラスではあまり活発な方じゃなかったしね。

 そんなときに、ある漫画に夢中になってしまった。中学の時から『パタリロ!』がきっかけで読み始めた少女雑誌『花とゆめ』に連載されていた、『ガラスの仮面』である。知ってる人も多いと思うけど、演劇に情熱をかける少女が数々の苦難を乗り越えながら、演劇界幻の名作『紅天女』を目指すという物語(ちなみにこの漫画、今でも完結してなかったりする。もうダメかもね)。それを最初から読んでいくうちに、もう一度自分の中にある、演劇への情熱を再認識してしまった。舞台で、カメラの前で、マイクの前でもう一度演技したい! そんな思いが日々強くなってきて、一時期あんなに演劇は辞めようと思っていたのに、結局劇団に舞い戻ってしまった。もちろん劇団側はすぐに受け入れてくれたけどね。

 声変わりもすっかり終わって低くなってしまった声、今までと同じような表情が作れなくなった顔。今まで培ってきた演技の基本から見直さなきゃいけなかった。「難波克弘、第二章」といった感じ。劇団のレッスンで、劇団員の一人が真ん中に出てきて、5分くらいその人の行動を回りからみんなで観察して、その後一人一人がそれを真似してみるっていうモノがあったんだけど、僕はこれが小さい頃得意中の得意だった。真ん中に出てきて恥ずかしがった女の子が「やーだぁ、もう」とか言ってたのをそのまま真似てみたりとか、僕が演るときにはみんな面白がってくれてたし。ところが声変わり後にそれを演ってみると、真似して出した声の低さに自分でも驚いてしまう。小さい頃は対象が男でも女でも真似はできたのに、今となっては対象が女だと、自分の演技の不気味さが耳についてしまった。回りの人達も、僕のそのジレンマを感じてたと思う。とにかく演技の仕方を根本から見直さなきゃいけなくて大変だった。

 今までは優等生やひ弱な子供の役ばかり回ってきてたんだけど、声変わり後は与えられる役が全然今までとは違っていて、最初はかなり戸惑った。忘れもしない、一番最初に僕も回りの人達も「ええっ?難波がその役?」と驚いた役は、映画『ラ・ブーム』の吹き替えの時。一人何役か演らなきゃいけなかったんだけど、僕の名前を「暴走族2」の下に見つけたときには、自分でも目を疑った。今まで演ったことのない不良っぽい口回しは、戸惑いを感じると共に、「こんな役も演れるのか!」ってむしろ面白くも感じたことを憶えてる。中3の時に演った『オーメン2』のダミアンはまだ声変わり途中だったんだけど、声変わり後にはもう一度、レーザーディスク版の『オーメン2』の仕事が来た。2つを聞き比べてみると、レーザーディスク版は輪をかけて声が低いし舌も全然回ってない。初めて見た時には恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだった…。

 こういった自分の声に対するコンプレックスがあったからなのかな。いつの頃からか、声を完全に出し切ることができなくなってたような気がする。劇団でも先生に言われてたし、アニメ『十五少年漂流記』のゴードン役を演ったときにも、音響監督に「もっと元気に声を出して!」と言われ続けたのを憶えてる。お腹から声を出すようにって、毎回劇団のレッスンでも自分でも気をつけて頑張っていた。その甲斐あってか、『風の谷のナウシカ』のアスベル役のオーディションを受けたときには、回りの人から「難波くん、声出るようになったね~」って言われるようになった。これは本当に嬉しかったなぁ。結局『ナウシカ』は落ちちゃったんだけど、後から最終選考まで残ってたってことを聞いたときには本当に悔しかった…。オーディションの前から、誰が演るか内定してたって話も聞いたけど、本当なのかな?

 この頃から、だんだん洋画の吹き替えと同時に、アニメの仕事も増えてきた。最初にアニメの吹き替えをやったのはまだ声変わり前の、『ヒット・エンド・ラン』という野球アニメのチョイ役。洋画では片耳から聞こえる原音がアニメではないから、とても心細く感じたのを憶えてる。極端な話だけど、洋画の場合は自分の声を相手の演技に乗せるだけでいいからラクなんだよね。相手の抑揚と表情に合わせてセリフを読むだけだから、メインの演技は元の役者に任せればいい。相手のリードに合わせてフォローする、カップルダンスみたいな感じかな。ところがアニメだとそうはいかない。自分が一から演技を作らないといけないので、オーバーアクションぎみに演じないといけないのがツラかった。

 話はちょっとソレるけど、この間日本に帰ってホテルでテレビをつけてみて、最近のアニメの声優さんたちの演技を聞いてみてビックリ。オーバーアクションなんてもんじゃない。なーんかみんな無理に声を作ってる気がするし、演技のための演技をしてる感じで、5分も聞いてたら耳が疲れてしまう。まぁ番組によるのかもしれないけど、憶えていたアニメの雰囲気とはまるで違うのに驚いてしまった。宮崎駿監督のアニメは、声優じゃなく普通の俳優をキャスティングしてる作品が多いみたいだけど、そのワケはこの辺にあるのかもしれないなぁ。でも声優をたくさん使った『天空の城ラピュタ』は全然不自然に感じなかったし、俳優をたくさん使った最近の作品もまあまあ味があっていいし(時々どつきたくなるような演技をする人もいるけどね、『耳をすませば』のお父さん役とか(笑))。人それぞれ、作品それぞれだと思うけどね。僕の演技は決して上手い方じゃなかったから(どっちかというとド下手)、こんなことを言うのはおこがましいとは思うんだけど、それでもやっぱり最近の若手アニメ声優はちょっと流れが違う気がする。

 さて、そうこうしているウチに、いろんなアニメのオーディションにも果敢にチャレンジしてた。『マクロス』とか、受けたことは受けたんだけど落ちちゃったし(笑)。その後運命的とも言える出会いをしたのが、高2のときの『銀河漂流バイファム』のオーディション。こまどり軍団何人かで受けたんだと思う。最初にキャラクターの設定表を渡されて、どの役で受けるかってのを自分で選ぶことができる。先生とも相談して、やはり真面目な性格のキャラクターを受けようということで、スコット役で受けた。快活な少年の声ができるとは思わなかったしね。オーディションを受けたことも忘れかけた頃、劇団からの電話で、バイファムの2次オーディションの話が入ってきた。行ってみてビックリ、活発な主人公の少年、ロディのセリフを読めと言われる。最初は「主人公」ってだけで、「え?ホントに?この役のセリフ読んでいいんですか?」って感じで尻込みしちゃったけどね。音声の収録の後、「一応この作品はこのメンバーで行きたいと思います」との発表を聞く。「え?これって2次オーディションじゃなかったの?これで終わり?ホントに受かっちゃったの?」と、驚くやら戸惑うやら。声変わり以降、主役だなんて初めてっすよ。嬉しさの反面、不安もかなり大きかったけどね。

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『バイファム』のロディ・シャッフル

 さて『銀河漂流バイファム』の第一話の収録日。…結果的には最低最悪の日だった。以前から言われ続けていたんだけど、最近は少しは大丈夫になったと自分でも油断していた「声が出ていない」という事実。音響監督に、これでもかというくらいシナリオ全編を通して注意され続けた。大ベテラン声優、富田耕生さんにも「本当に演技の勉強をしてるのか?」とか、とてもキツイお言葉を貰ったり(野沢雅子さんが「まぁまぁ」と止めに入ってくれたり)。いやーこんなにキツかったのって、あの『王様と私』の最初のリハーサルのとき以来(笑)。さすがに泣きはしなかったけど、やっとのことで収録を終えて家に帰ってきた後は、「こんなんで最後まで演っていけるんだろうか? 役から外されちゃうかな?」とかずっと悩んでた。『マクロス』で主役を演っていた同じくこまどりの長谷くんが「収録どうだった?」って心配して電話してきてくれたのが、本当に心から嬉しかった。この電話のお陰でかなり心が軽くなった。

 泣き寝入りしているわけにもいかないので、次の回のシナリオを早目に貰って、劇団で先生に特訓してもらう。セリフを一つ一つ先生に聞いてもらって、その評価をフィードバックしてもらった。全てのセリフを特訓し終えるには、とても時間がかかったと思う。この時ほど先生に感謝したことはなかった。僕のために、忙しい時間を割いてまで演技指導をしてくれたのが泣くほど嬉しかった。その甲斐あってか、第二話収録のときには、「先週よりも声が出るようになってきたねー」と音響監督にホメられた。きっと誰かに「あんまり叩くと萎縮しちゃうよ」って言われたんだとは思うけど、それでも自分の努力が少しでも認められたことに、希望の光が見えた気がした。この後だいたい第十話くらいまでは、ずっと先生に演技指導をお願いしてたと思う。

 声の演技をするときに何が一番ツラかったかというと、自分の声の音域の狭さ。興奮して声を荒げるシーンでも、もっと高い声でセリフを言いたいのに、音域の上限に阻まれてどうしても平坦な読みになってしまう。歌を唄うときに、どうしてもこの高い音が出ない!ってイライラするのと同じ感じで、頭の中で思った通りにセリフを読めない自分に不満が募っていた。これは今でも不思議に思うんだけど、声の音域に阻まれて思った通りにセリフが読めないって人、僕の他にいるのかな? だから『バイファム』で興奮したときの声とかって、頭の中ではもっと高い声を出したいのに現実では出せないので、すごくガラガラした声になっちゃってた。これはいろんな人に指摘されてたんだけどね。「声変わり中の少年ぽくてリアルでいい」って言ってくれた人もいたけど、決して自分では納得の行く演技じゃなかった。その最たるものが、ロディが憧れていたケイトさんというキャラクターが死んでしまうとき。「ケイトさーん!!」と悲しみを込めて叫ばなきゃいけなかったんだけど、どうしても自分の頭で思うような声が出せない。もっと高い声を出したいと思えば思うほど、感情がどこかに行ってしまって、ただ叫んでるだけの声になってしまう。今でもここのセリフを聞くときには唇を噛み締めてしまうくらい、今十歩くらいの演技だった。カナメなセリフだけに、自分で納得できない演技を残してしまった自分がとても恥ずかしかった。

 演技のことはさておき、『バイファム』のレギュラーを開始してから、それに付随する変化が僕の演劇生活に訪れた。「声優」っていう言葉がメジャーになり始めた頃だったのかな。『マクロス』の長谷くん、『みゆき』の鳥海くん、そして『バイファム』の僕の3人で雑誌のインタビューを受けたりしたし、あるアニメ雑誌にはビックリするほど大きな僕のポスターがついたこともあった(僕だけのじゃないけどね)。毎週土曜日の収録の時には、スタジオ入りするときには前で出迎えてくれて、家に帰るときまでずっとスタジオの外で待ってくれてるファンの人達との出会いも、とても大きな戸惑いの一つだった。こんなことは『1年B組新八先生』のとき以来。好きなことやってるだけなのに、こんなにチヤホヤされていいのか?ってずっと思ってた。『アニメトピア』っていうラジオ番組にゲストとして招かれて、その番組のレコードに一曲唄わせていただくという、今までの一生の夢が叶っちゃったりしたし。初めてのレコーディングはまさに緊張そのもので、今から聴いてみるとただただ恥ずかしいという一言に尽きちゃう。でも一人コーラスとかできて嬉しかったなー。このラジオ番組であっちこっちにイベントで行かせてもらったりしたのも、僕にとっては最高の思い出の一つ。なんたって遠くに行けて舞台に上って歌を唄えて、みんなからキャーキャー言われて花束やプレゼントを貰って、会社持ちだから美味しい物を食べに行けて、それで最後には出演料も貰えちゃうなんて、こんな夢のようなことがあっていいのか!(いや、いいはずがない)というような、とても不思議な「イベント」と呼ばれる仕事。最初のイベントでいきなりセーラー服を着させられたのはショックだったけどね(笑)。でもその写真を見た母が、「ま~、私の学生時代にそっくり!」って言った時の方がもっと大ショックだったりする。

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はずかちー、セーラー服姿

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アニメトピアのイベントで

 「声優」って呼ばれるとなんか偉くなった気がしておこがましい感じだったけど、『バイファム』のお陰で他のいろいろなアニメの声にも使っていただけたのが嬉しかった。『タッチ』の佐々木役もレギュラーにいただいちゃったし(ちゃんとオーディションがあったと思う)。この作品は尊敬する三ツ矢雄二さんとの共演なので最初はとても緊張したけど、日高のり子さんを始めとするキャストの皆さんが本当にいい方ばかりで、とても楽しかった。役柄的にも『バイファム』のロディとはうって変わって、真面目で気弱な役。声変わり前の真面目さとは全然違う役が嬉しかった。そういえばこの作品を演ってるときに、今でも日本に帰る度に飲みに行ってる金丸淳一さんとも出会ったんだよなぁ。『タッチ』の終わり頃、音響監督に『陽あたり良好!』のオーディションも受けてみないかとの話を受けて、もちろん喜んでOKしてしまった。監督自ら話を持ちかけてきてくれるなんて、こんな嬉しいことはない。最終的に『陽あたり良好!』のキャストは、ほとんど『タッチ』からカット&ペーストしてきたような感じ。日高のり子さんがいなくなっちゃったのは残念だったけど、森尾由美ちゃんもすごく楽しい人で、和気あいあいとしたスタジオの雰囲気は『タッチ』のときと全く同じだった。この『陽あたり良好!』の誠役も今までなかったタイプ。僕の役者人生で初めて、声を少し作って演技しなきゃいけなかった。「へぇ、このくらい作っても大丈夫なんだ」って感じですごく楽しかったけどね。ただセリフが本当に少なくて、三ツ矢さんに冗談で「このギャラ泥棒!」って言われてた(セリフの多い少ないに関わらず出演料は一定だから)。ヒドイときなんか「転校」の最初の文字の「てん…」だけ言って「お疲れ様でした~!」な時があったりして。この時には他の声優さん方に「こりゃもう一文字いくらの世界だよね」って羨ましがられました(笑)。

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『陽あたり良好!』の打ち上げ

 実はこの『陽あたり良好!』には不思議な縁がある。中3の頃、演劇を一時期辞めていたときに『陽あたり良好!』の実写版が放送されていて、その誠役を、こまどりでも仲のいい友達だった「まめたん」こと松田辰也くんが演じてた。この誠役はコンピュータの使い手という設定。んで、そのコンピュータの画面に出てくる文字をプログラムしたのが、何を隠そうこの僕。まめたんや劇団の先生が、僕がコンピュータを操作できるとスタッフの人に言っていたのがキッカケらしい。それにしても劇団にコンピュータの仕事が入るなんて(笑)。んで、僕がシアトルに出張していて、アニメ『陽あたり良好!』の映画版の収録が無理だった時には、その映画版の誠役は松田辰也くんが演じることになったという、なんともメビウスの輪的なお話。

 まだ『タッチ』とか『陽あたり良好!』をやってる時だったかな、三ツ矢雄二さんの主催する劇団、プロジェクトレビューのミュージカルに、『バイファム』で一緒だった鳥海くんと、ゲストとして招待された。三ツ矢雄二さんのオリジナル、『明日へ!キャサリン』と『ジミーとジョアン』という二本立てのミュージカル。前者はまるで『不思議の国のアリス』みたいな物語でいろいろな動物が出てくるんだけど、その中でなんとアリ(蟻)の役。後者では物語の進行係の語り手の役。語り手は唄って踊ってナレーションしてって感じだったので、踊りの稽古とかはかなりハードで大変だったけど、役作り自体はそんなに大変じゃなかった。問題は「アリ」。これは最後まで役作りの方向が定まらなくて、本当に苦労した。三ツ矢さんにもそれを見抜かれてたし。銀座小劇場っていう小さな小さな劇場での公開だったんだけど、あんなに唄って踊れるのって初めてだったから、すごく楽しかった。稽古はハードの一言に尽きていて、初日はもう全身がビシバシ痛かった。リポビタンAを2本くらい飲んで舞台に臨んだことを憶えてる。あまりにハードで、衣装合わせのときに測ったウエストサイズが、この舞台を終えた後は6センチも縮んでたのには笑ったね。銀座小劇場の後には、青山円形劇場で完全リライトされた『明日へ!キャサリン』にも違う役どころで出していただいたりした(今度はキツネ役)。顔出しの仕事ってすごく久しぶりだったから表情の作り方に苦労したけど、やっぱり舞台って楽しい。お客さんの反応が肌で感じられるからなのかな。自分がセリフを喋って、それによって笑ってくれたり感動したりしてくれてるのが、空気を通じて伝わってくる。あのビシバシくる観客の反応は病みつきになりそう。

 大学生活も終盤に近づき演劇以外の仕事も忙しくなってきた頃、劇団から今までにない新しいタイプの仕事が舞い込んできた。これはまるで僕の二つの得意分野、演劇とコンピュータを足し合わせたような面白い仕事。NHK衛星放送で『シティー・インフォメーション』という、映画やアートなど街の最新の情報を視聴者に伝える番組がスタートすることになったんだけど、この一番最後でNHKが立ち上げていた「銀河通信」というパソコン通信を通して伝えられた、各国の話題を僕が紹介することになった。いわばパソコン通信版ニュースキャスター。生放送だったので、平日の毎日4時には渋谷のNHKのスタジオまで行かなければならなかった。この当時は大学4年で、3年までに卒業に必要な単位は全て取ってしまっていたので時間には余裕があったんだけどね。でも普通は2~3分はあるこの紹介コーナーも、生放送なだけあって時には1分くらいになってしまうこともあって、自分で不必要と思われる情報をどんどんカットしながら早口で原稿を読まなければいけなかったのでとても大変だった。当時のビデオを見てみると、「うっわー、よく舌が回ってるなー。偉いな~」と自分で関心してしまうほど。毎日早口言葉の特訓をしているようなものだもん。やっぱり毎日の鍛錬の積み重ねってスゴイって思った。

 この『シティー・インフォメーション』の番組では最新の映画情報を伝えるコーナーもあって、海外の有名な俳優のインタビューとかが放送されたりしてた。チャーリー・シーン(Charlie Sheen)に誰かがインタビューしてるクリップを見て、「えー、チャーリー・シーン日本に来てたんだ。会いたかったなぁ…」と漏らしたら、スタッフの人が「海外の俳優とか好きなの?そんじゃ次に誰か来た時にインタビューしてみる?」とのお話。もう首を縦にちぎれるくらいに振って返事した。このチャンスが回ってきたのが、映画『第七の予言』のプロモーションでマイケル・ビーン(Michael Biehn)が日本に来た時。マイケル・ビーンは『ターミネーター』の最初の話で未来から来たいいヤツの役とか、『エイリアン2』で最後まで生き残る隊員の役を演ってたのは知ってたから、もう舞い上がってしまった。インタビューする質問を考え、それを英語に直して紙に書いて、通訳の人に一応見せて手直ししてもらう。緊張するだろうから、そういうアンチョコがないと頭がカラッポになっちゃうだろうし。マイケル・ビーンには、ホテルの一部屋で約30分くらい独占インタビューをさせてもらっちゃった。最初に、英語でインタビューするのなんて初めてだから、わかりにくいことがあったらゴメンなさいって一応断っておいたら、満面の笑顔で「全然大丈夫だよ!」って言ってくれた。いやー、ホントにいい人ってのがにじみ出てたね。英語を実生活で使ったのって、この2年前にオーストラリアに行った時以来だったからすごく緊張したけど、インタビューは思いのほかスムースに行ったと思う。映画の大画面で見たことのある人と1~2mの距離で実際に会話できるって、こりゃスゴイことっすよ。僕もかなりミーハーな方だったんだなぁ(笑)。

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どひゃー、マイケル・ビーンと!

 『シティー・インフォメーション』をキッカケに衛星放送の別の仕事も頂いたりして(「お仕事お仕事、韓国旅行」)、かなり充実した大学4年生だったと思う。でもこの頃には、心の奥で将来の仕事に対する葛藤が渦巻いていた。コンピュータと演劇。今までの僕を形成するのに、どちらも欠かせないエレメントだった。でも大学を卒業したらその二つを平行してやっていくことは不可能に近い。役者ってのはとても充実した仕事だけど、仕事が来なかったらそれっきり、「職業」にするにはとてもリスクの高いもの。反対にコンピュータ業界は華やかさはないものの、今が盛りの勢いで伸びている世界なので食いっぱぐれる心配はない。小さい頃から金銭的に安定した生活に憧れていた僕は、心の中ではどちらを取るかは明白だった。ただ、本当に演劇を完全に捨ててしまえるんだろうかっていう不安が、胸に重くのしかかってた。まさに自分が半分に引き裂かれてしまうかのような恐怖、そんなものが就職するまでずっと心の奥底にあった。

 結果から言えば、コンピュータ業界を選んで正解だったと思う。好きなことだったし、安定した生活を送れたし、夢だったアメリカに住んで家を買うこともできたし。それでも、今でも演技している夢を見ることが多いってのは、やっぱり演劇を諦めきれてない証拠なんだろうな。ツライ思いもしたけど、そんなことが問題にならないほど楽しい経験を積み重ねた演劇の世界。たぶん一生この後ろ髪を引かれる思いを引きずっていくんだと思う。

 シアトルに来てから、こっちで有名な合唱団に入団した。初めてのコンサートで舞台の上に上がった時、全身に鳥肌が立った。血が騒ぐっていうのかな。あの舞台独特の匂いと強いライトの光、そして目の前に並ぶ客席。「これこれ!この感覚!」って涙が出そうになった。自分がいかに演劇の世界を欲していたかを思い知らされた感じ。小さい頃からやってきた演劇経験の数々が、自分のDNAに刻み込まれてしまっているような気さえした。表現方法は違っても、「観客を楽しませる」というゴールは演劇もコーラスも同じ。空気から伝わってくる観客の感情の変化がとても心地良かった。

 アメリカに住んでいる以上、これから演劇の世界を再体験するってのは不可能に近い話なのかもしれないけど、完全に諦めないでちょっとは希望も持っていたいな。英語で演技なんてしたことないけど、根底を流れるものは同じだと思うしね。もしそういう機会があったら、恐れずに挑戦してみたいと思う。たった一度の人生、10年後20年後になってから後悔はしたくない。
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by alexsea | 2002-08-23 01:00 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
演劇 - 前編
 僕の演劇に対する興味は本当に突然生まれた。小学校4年生のとき、新聞のテレビ欄のすぐ下に「新人タレント募集」っていうデカデカと出ていた広告になんとなく興味を引かれたのがキッカケ。それを見ると、同い年くらいの子がテレビや舞台で活躍してるらしいことが書いてある。小さい頃から負けず嫌いだった僕は、「こんな子ができるくらいだったら僕でもできそうだなぁ」と思って母に聞いてみた。

 今でも母に感謝しているのが、小さい頃から僕が興味を示したものに、文句を言わずにそれを伸ばしてくれるような努力をしてくれたこと。まだ3歳ぐらいの頃、母がもらってきたオルガンに興味を持って毎日のように弾いていたら、ピアノを習わせてくれたし。小学校2~3年の頃には、なんとなくピアノで曲を作ったりしていた僕に、作曲の先生をつけてくれたり(これはあまり続かなかったけどね)。母子家庭ということで財政的にすごく苦しかったと思うんだけど、僕にはやりたいことをやらせてくれた。だから今でも、新しいものに簡単に興味が持てるんだと思う。

 この演劇の新聞広告を見つけたときも例外ではなく、劇団に入るんだったら、家族が岡山から東京に出てきたときに兄が方言を直すために入っていた「劇団こまどり」がいいんじゃないかと提案して、早速劇団に電話して面接のアポを取ってくれた。小学校4年の12月。面接の日のことはあまりよく憶えてないんだけど、確か事務所で何かちょっと読まされて、その後「ちょっと唄ってみてくれる?」って言われてその場で唄ったんじゃなかったかな。全部で15分もかからないような簡単な面接で、なんだか拍子抜けしてしまった。この日から毎週日曜日は、この劇団こまどりで演劇を学ぶことになる。

 笑っちゃったのが劇団に入ったすぐ次の日くらいから仕事があったこと。確か田町のスタジオで、「とーしのはーじめーの~」とかいう歌を、他の劇団のみんなと一緒に唄ったのが僕の初仕事。他の子達と一緒ってこともあって、全然緊張しなくて、むしろとても楽しかったっていう記憶がある。劇団に入りたての頃は、こういう歌の仕事がとても多かった。その頃テレビで流れていたコマーシャルソングで、子供の声が入っていたら、それは全部僕たちが唄ったものだと言っても過言ではないくらい。一週間に最低二度はこういう仕事が入ってたんじゃなかったかな。

 さて歌の仕事はともかく、演技の方は全くド素人。学校で教科書を読むのは得意中の得意だったとはいえ、それに感情を込めて読むとなると話が違ってくる。しかも、自分ではみんなと同じ標準語を喋ってると思っていたんだけど、どうやら親の影響で所々に岡山の発音が出てるらしい。一番大変だったのが有声音を無声音に直す訓練。「ひとつ、ふたつ」とか言うときに、関西の方では「ひ」「ふ」「つ」はしっかりと母音まで発音するんだけど(有声音)、東京では母音は発音せずに子音だけを発声する(無声音)。つまり標準語で「ひとつ」って言うときには、母音までしっかりと発音する音は「と」だけ。「ひ」と「つ」は声を出さずに、ひそひそ話しをしているような音になる。このことは約1~2年の間先生に注意され続けたと思う。「難波! 有声音!」って先生に言われることが、一時期すごく怖かった。

 最初の大きなレギュラーはNHKの『みんななかよし』という道徳番組。初めての大きなオーディションは、さすがに緊張した覚えがある。セリフつきのテレビ番組の収録も、僕にとっては初めてのこと。6人のレギュラーの中で、僕だけ浮いちゃうくらい下手だったけどね(笑)。それでも僕にとっては初めてのテレビ出演。まだビデオなんてものはなかったので、初めての放送の時には母がテレビの画面をカメラで撮っていた。初めてのテレビドラマ体験、面白かったな。尾美としのりくんや、同じ劇団の笠原弘子ちゃんとかと一緒だった。ちょっと残念だったのは、『みんななかよし』は小学校4年まで向けのヤツだったらしく、この時小5の僕は、自分のクラスで見ることはできなかった(『明るい仲間』が小5向け)。それでも学校の廊下を歩いてると、下級生のヤツラが「こいつテレビに出てた!」って指差されたりしたっけ。小6になってからは、同じくNHKの『僕らの社会化ノート』っていう番組にレギュラー出演。この番組は自分では見たことがなかったんだけど、色々な社会に関する話題を扱う番組で、『みんななかよし』のようなドラマとは全く違う感じだったから面白かった。この番組で初めてロケも経験。それまではずっとスタジオでの収録だったので、屋外での収録はとても新鮮だったことを憶えている。

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『みんななかよし』
初めてのレギュラー

 同じく小6の夏には夏休み全部を利用して、『ガキ大将行進曲』っていう初めての映画の収録が山梨であった。オーディションがあったんだかどうだか忘れちゃったんだけど、なんと主役の4人の中の1人に抜擢されて、ちょっとだけ緊張した覚えがある。1ヶ月半も親元を離れて暮らすのは初めてだったけど、最初の何日かで慣れちゃったみたい。スタッフも共演者の人たちもすごく付き合いやすかったのを憶えてる。山梨のあるお寺で寝泊りして、学校や野原、山の中なんかでロケの毎日だった。普通ならこういう団体生活って苦手な方なんだけど、なぜかこの時は大丈夫だったな。ただ山登りが主体なストーリーなだけに、毎日毎日早起きして山に登らなきゃいけなかったのがとても大変だった。今から見てると本当にダメダメな演技なんだけど、収録中には「光男(僕の役名)は演技が上手だな」って監督さんに言われたりして、とても嬉しかった。ただのオダテだったに違いないけどね。途中で大熱を出して頭がガンガンに痛かった時があったんだけど、その時には監督に「頭が痛いような顔をしたら承知しないぞ!」と怒鳴られて、我慢しながら撮影したこともあった。ストーリー中で僕が鉄棒が出来るようになるっていうシーンがあるんだけど、僕はその頃逆上がりはできても、台本にある足掛け上がりはやったことがなかったので、スタッフの人に教わりながら猛特訓した。手に豆ができたりして大変だったけど、やっと足掛け上がりができるようになってよかった。手の豆がつぶれた時には、監督が「ああ、ちょうどいいからこの絵撮っちゃおう」と言って、そのまま映画に使われちゃった。『ガキ大将行進曲』を観たことのある方々、あのつぶれた手の豆は本物です(笑)。本当に楽しいこと満載の夏、僕にとっては今までで最高の夏休みだった。

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『ガキ大将行進曲』
ドロだらけの毎日

 この頃から声の仕事が多くなってきた。特に洋画の吹き替え。声がかなり高くてボーイソプラノ系だったので、ひ弱で白血病で死んじゃう男の子の声ばっかり当ててた気がする。『クリスマス・ツリー』や『メリーゴーランド』とかね。『クリスマス・ツリー』の初放送のときには、新聞の番組欄の<声の出演>に初めて名前が載って嬉しかったねぇ。よく再放送するみたいだけど、ずっと僕の声を使ってくれてるみたいだし。もう子供の頃のことだから、どうやって吹き替えの技術を学んだかなんてよく憶えてない。ただ劇団の先生に教えられるまま、他の劇団友達も参考にしながら、見よう見真似で憶えたんだと思う。それでも最初の頃は、台本に目が行っちゃうとそれっきりで、先生に「そのセリフ画面では笑ってるよ」とか注意されることが度々あった。リハーサルの時に、セリフをどれだけの速さで読むか、どんな顔をして喋ってるかを注意深く観察して、台本に書き込んでおかないといけないんだよね。トライ・アンド・エラーの毎日だったと思う。その内に『小公子』や『大草原の小さな家』でレギュラーまでいただいちゃって、これもほとんど毎週だったから楽しかった。『アドベンチャー・ファミリー』の吹き替えをやった後には、「番組でトビー役をやっていた難波克弘さんについて教えてください」とかいう投稿がテレビ番組雑誌に寄せられたりして、初めて写真つきで解説されちゃったりしたこともあった。

 チョイ役から主役級まで、本当に色々な番組や映画の声を当てさせてもらった。ほとんど毎日のように仕事があって、時には一日に2本掛け持ちなんて時もあった。劇団の西村先生はみんなの第二の母といった感じで、本当によく面倒を見ていただいた。すごく気さくでパワフル、それでもダメなときにはダメだとちゃんと怒ってくれる人。この先生あっての今の僕だと思う。小さい頃からたくさんの大人との交流があったのは、すごく自分にとってプラスになったと思う。自分だけだとこまっしゃくれた子供になってたかもしれないけど、西村先生がちゃんと目を光らせていてくれたお陰で、大人との付き合いのノウハウを学ぶことができた。

 ちょっと話は変わるんだけど、ついこないだシアトルの日本語情報ウェブサイトJungle Cityの掲示板を見ていたら、「日本語男性ボイスオーバー急募」の広告を発見。「声優、演劇経験者優遇」とのこと。うわお、ここで応募しなくてどうする!ということで、オーディションを受けてきた。声の仕事なんてもう10年以上やってないし、それに渡された台本を見てみると、コンピュータ・グラフィックスによるマッド・サイエンティストの役。今までのキャラクターとは全く違う役なので、スタジオに着いたときにはかなり不安だった。ところがヘッドホンを耳に当てて台本を片手で持つと、まるでこの仕事を昨日までずっとやってきたかのように、すごくしっくりきてしまった。演技の方は、舌が少し回らなくなっているとはいえ、プレイバックされたのを聴いてみると、ちゃんと自分でも納得のいくレベル。なんだ、これだったら現役でも大丈夫じゃん!(笑) 夢の中で、台本を渡されるんだけど舌が全然回らなくてダメダメだっていうストーリーを何度も経験したことがあるので、現実の世界ではちゃんとできることがわかってホッとした。今回の仕事自体は、あまりにもキャラクターが違いすぎるので、受からなくても無理はないけどね。でも本当に、小さい頃学んだ技術って絶対に忘れないんだなって、すごく実感した。

 声の仕事が増えてきた頃、僕は初めての舞台も体験した。『草燃ゆる』という時代劇で、場所は帝国劇場、主演は山田五十鈴さんという豪華な初舞台。僕は源頼家の子供時代の役で、なんと花道から登場! カツラを被って豪華な時代劇衣装を身に着けた僕は、自分で見ても自分じゃないみたいだった。家来を連れて狩りに行くシーンがあったので、弓の使い方も勉強したりして楽しかったな。僕は全然緊張してなかったんだけど、僕の回りの人達が「客席にいるのは人じゃなくて、ダイコンとかニンジンとか野菜が並んでると思えばいいんだよ」とか教えてくれる。そんなに心配しなくても大丈夫なのにって心の中で笑ってた。

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『草燃ゆる』

 さてさて中2の時。大人気だった『3年B組金八先生』の後番組、『1年B組新八先生』のオーディションになんと合格してしまった。ウチの劇団から受けた全員が合格したんだよね。Go! Go! こまどり(笑)。第1話の入学式のシーンで新入生代表として挨拶をするセリフがあった後は、第4話まで全くセリフなし。うー、このままセリフがなかったらどうしようと思ってた矢先、第5話で突然主役が回ってきた。『新入生初身体検査』というちょっと怪しげなタイトルの話。僕より先に台本を読んだヤツラが「え~、三郎(僕の役名)ってこんなにヤラシーやつだったんだ」って僕をからかうことしきり。何が起こっているかわからない僕は半ベソ状態になってしまった。ま、要するに勉強もできてマジメな三郎クンが、いわゆる思春期の男の子の悩みに目覚めてしまったワケ。お風呂でコソコソとパンツを洗ったり(爆)、成人指定の映画館にこっそり紛れ込んだりしたりとか。そりゃ台本貰ったときにはちょっとショックだったけど、演ってみると面白かった! その時の監督は、ほとんど僕の思うままに演技させてくれたしね。最後、河原で僕が泣いているところを新八先生と久美子先生に見つけられるシーンがあるんだけど、僕が河原の岩みたいなところに座って演技の前準備として気分を出そうとしていたら、スタッフの人達もそれをわかってくれて静かに放っておいてくれたし。面白かったのが、カメリハの時だったかな。僕が泣きながら新八先生の胸に飛び込むシーンがあって、胸に飛び込んだのはいいんだけど、先生の胸にあったボタンだったかマイクだったかに鼻をしこたまぶつけちゃって、先生に「なんかすごい音しなかったか?」とか言われて大爆笑したりした。あ、あと、成人指定の映画館からコッソリ出てきたところを、大森巡査に見つかって追いかけられるシーンの撮影のとき。スタッフの人に「カメラから見えなくなるまで走れ」って言われてたんで、巡査が「こら!待て!」って追いかけてくるのを逃げるようにずっと走ってたら、道を歩いていたおじさんにガシッと肩を掴まれて止められた。僕は何が起こっているのか理解できずに、「も、もしかしてこれって誘拐?」とか思ってたら、追いかけてきた大森巡査に差し出された。巡査役の人もビックリしちゃって、「あ、こりゃ、どうも!」とか言ってたけどね。そのおじさんにはカメラなんて見えないから、僕が本当に警官に追いかけられてると思ったらしい。後でスタッフの人達と大爆笑したけど、その時はもう足ガクガクもんだったっす(笑)。

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『1年B組新八先生』

 この番組のレギュラー6ヶ月間は本当に楽しかった。ずっと長く一緒にいるもんだから、クラスの中にもちょっとした派閥みたいなのも生まれちゃったりして雰囲気が悪くなったこともあったけど、それだけにリアリティがあったもんね。2000年の5月、ちょうど番組の収録時から20年ということで、僕がキッカケ案を出して、20周年同窓会が開催された(いろいろアレンジしてくれた大、ありがと~!)。その同窓会には岸田敏志さんも来てくれて、連絡がつかなかった数名を除いて、クラスのほとんどが出席してくれたのは感動モノだった。20年もの月日を経たとはいえ、あれだけずっと一緒にいた仲間たち。まるで一週間前に会ったかのように、すぐに打ち解けてしまった。とはいえ、あの頃はみんな12~13歳くらいだったから、その頃の友達と酒を飲んでいるってのはちょっと不思議な感じだったな。女の子たちはあまり雰囲気は変わらずにそのまま綺麗になった感じなんだけど、男は随分風貌が変わったヤツラばかりだった。文夫役に「太ったね」って言われたのはやっぱりショックだった。ダイエットして行ったのに…! 岸田さんも50近いのに、その場の誰よりも若い雰囲気。やっぱり好きな仕事をしてる人ってのは輝いてるよね。本当に楽しい同窓会だった。そういえばあの同窓会以来、日本に帰ってないや。日本に帰ったときにはまたみんなで集まって飲みたいな。

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20周年同窓会

 中3のときはまた帝国劇場で、『王様と私』の舞台。オーディションの時には「うわーそんなに高い音まで出るのか、すごいね」とまで音楽監督に言われたんだけど、それから本舞台までの間に声変わりが始まってしまったらしく、最初の歌の練習のときにはその同じ監督に怒鳴り散らされてしまった。「こんな音も出ないのか! 君はそれでもオーディションを受けたのか?!」って、全員の前で怒られた。その場ではグッと堪えたけど、休憩時間にはトイレに行って大泣きしちゃったよ。劇団の西村先生は僕が泣きに行ったのがわかってたらしい。「この年頃なんだから声変わりくらいしたって不思議じゃないじゃない。なにもあんなに言わなくたってよさそうなもんなのにね」と同情してくれた。この舞台では僕は大勢居る王子の中の一人。『新八先生』で一緒だった克弘役のヤツは、チュラロンコン役という主役級を貰ってた。いやー、悔しかったね。負けたーって思ったよ。それでも大勢の王子役・王女役たちと一緒の舞台は楽しかったけどね。

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『王様と私』

 この舞台の後TBSの『娘が家出した夏』というドラマのオーディションを受けて、なんと受かってしまった。今から考えてみるとものすごい豪華メンバー。僕の兄役が奥田瑛二さん、姉役に石原真理子さん、その友人に手塚理美さん、お隣の家には名取裕子さん。なんかスゴイよね。撮影の合間には、石原さんと奥田さんとの3人でTBS近くの神社まで散歩に行ったりして、みんなやさしくて楽しかった。でもこの頃はどんどん声も変わって、僕の風貌自体も変わってきていて、すごいコンプレックスに悩まされている時期だったので、演技自体はもうメチャクチャだった。声が変わったのでどんな演技をしていいかわからなくて、普通に演っているつもりだったんだけど、オーバーアクションだと言われたり。あの頃は本当に心から悩んだなぁ。全話ビデオに録ってあるんだけど、あの頃の自己嫌悪を思い出すのがイヤで、未だに一度たりともプレイバックしていない。そろそろ見てみてもいい頃かもしれないな。とにかく、中3は僕にとって暗黒時代ともいえる一年だった。

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『娘が家出した夏』

 高校受験のための勉強をしなければならなかったし、演技が全くわからなくなったりしていたので、劇団を辞めることにした。この時はキッパリと演劇を辞めるつもりだったんだよね。ところがどっこい、ある漫画に出会うことで、僕はまた演劇を再会するハメになる。
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by alexsea | 2002-08-23 00:00 | エッセイ | Trackback | Comments(24)