![]() From Seattle, WA, USA
by Alex プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。 ● 詳しいプロフィール ● 旅行記メニュー (個人的に連絡を取りたい方は、メールアドレスの入ったメッセージを非公開コメントとして残していただけると嬉しいです) カテゴリ
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日本2018~2019: 原爆の傷跡
長崎最後の今日は7時半頃起床して、ホテルを8:45に出発。まずは朝食として、長崎では有名なトルコライスなるものを食べに行こう。
昨日のようにホテルの前から市電に乗って思案橋で降り、トルコライスで有名な『ツル茶ん』へ。ここは喫茶店なんだけど、9時の開店から食事もできる場所。昭和な感じの店内には、トルコライスを食べに来た有名人の写真がたくさん貼ってある。ここのトルコライスには色々なバリエーションがあるけど、僕は普通のトルコライスを注文することにした。Koreyは朝から重いものが食べられないのでトーストを注文。さて、このトルコライス、軽いピラフの上にトンカツが乗っていて、その上にカレーがかかってる。その横にはスパゲッティ。日本の洋食の良い所を集めた、いわば大人版お子様ランチって感じ。僕にとっては大好きな組み合わせなので、朝だというのに残さずにペロッと食べてしまった。美味しかった~! この「トルコライス」という名前だけど、国のトルコとは全く関係がなく、「三色」という意味の「トリコロール」から来ているらしい。デザートにはハーフミルクセーキ。長崎のミルクセーキはシャーベットのような形になっていて、口の中でサラリと溶けた後は、ミルクセーキの濃厚な味わいが口の中に広がってもう最高。トルコライスも美味しかったけど、ミルクセーキにはもっと感動したかな。どちらも食べられて嬉しかった! ![]() 長崎名物、トルコライスとミルクセーキ お腹がふくれた後は、今日はちょっと重い観光の開始。また市電に乗って、まず最初の目的地である長崎原爆資料館まで。 ![]() 長崎の市電はとても可愛い 思っていたよりもモダンな建物で、中に入ってすぐに螺旋状の緩やかな坂が下の方に続いてた。坂の途中には年号が書いてあって、下りて行くにつれて過去に遡るような感じになってる。坂の終わりは1945年。原爆が爆発した11時2分で止まった壊れた時計が壁にかけてあって、そこから爆発後の長崎を再現した部屋に入っていく。 倒れかけた鉄塔、爆風で壊れた建物なんかが展示してあって、当時の悲惨さが伝わってくる。資料館の方には、炭化した死体や骸骨だらけの写真、爆熱で壁に焼き付いたハシゴと人の影の写真なんかもあって、本当に息が詰まる感じ。立体地図とプロジェクターを利用して、原爆投下直後にどの辺りまで熱線や爆風が影響したかっていう展示は、爆弾の被害がいかに広範囲に渡ったかを理解させてくれる。こんなに神妙な気分になったのは、広島の平和記念資料館に行ったときと、アウシュビッツに行ったとき以来だ。こんな悲劇の前例があるにも関わらず、世界ではまだ核兵器の製造や実験が続いてる。本当に人間というものは、どれだけ愚かなんだろう。 ![]() 最初の部屋からして、かなりのインパクト ![]() 原爆が爆発した11時2分を指して止まった時計 資料館の最後には、アメリカ人写真家のJoe O'Donnell氏による、『焼き場に立つ少年』の写真があった。死んだ弟をおぶって、その弟を焼き場で焼く順番を待つ少年。唇を噛みしめる彼の表情には、悲しみや怒り、切なさなどの感情が入り混じっていて、胸が痛くなってしまう。でも考えてみると、日本やアメリカは今では比較的平和だけど、中東の国とかではいまだに新たな『焼き場に立つ少年』が次々と生まれてるんじゃないかな。この地球上で、こんな悲劇がなくなる日は本当に来るんだろうか。 ![]() 少年の表情が、全てを物語っている 資料館の裏口から出ると、すぐ隣の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に入れる。ここは建物全体がアートといった感じの場所。原爆で亡くなった人々が水を求めていたので、この建物の中にはあちこちに水が流れてる。メインの部屋には、天井まで続く光る柱がいくつも立っていて、その向こうには亡くなった方々の名前を保存してある場所があるらしい。まるでSF映画のコンピュータルームのような感じだけど、とても厳かな気分になる部屋だった。 ![]() この部屋には、亡くなった人たちの名前が保存してあるらしい 祈念館を出て歩いて10分ほどのところには爆心地公園があって、ここには長崎原子爆弾落下中心地碑が立てられている。1945年8月9日の午前11時2分、この上空約500mのところで原子爆弾が爆発した。今日の天気が良いだけあって、この碑を見ていると余計にシュールな気分になってしまう。この近くには被爆当時の地層が見られる場所もあって、土の間に茶碗のようなものが見えた。こんな生活感のあるものを目にすると、大惨事が本当だったということが心に圧し掛かってくる。 ![]() ここが爆心地だった この後は平和公園に上るエスカレーターの脇にある防空壕跡を見た後、公園に入っていった。エスカレーターで上ってすぐのところには池があって、「あの日のある少女の手記から」と書いてある碑があった。 「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」 あまりにも酷い光景を想像して、気分が悪くなりそうになった。 歩いてすぐのところには、平和祈念像がある。昭和30年に建てられたこの像は、右手は原爆を指し、左手は平和を指しているとのこと。この像のように、僕も静かに平和を祈るしかない。 ![]() 平和祈念像は、穏やかな顔で平和を祈る ここから歩いて10分ほどのところには、浦上天主堂がある。すぐ脇には当時爆風で倒壊した鐘楼がそのまま保存されていて、爆発のパワーというものを改めて感じてしまった。中は写真撮影が禁止だったんだけど、とても静かな教会で、パイプオルガンの音が流れていた。『被爆したマリア像』は目が溶け、所々黒く焼け焦げていて、泣いているかのようにも見える。本当に、こんな惨劇が二度と繰り返されませんように。 ![]() 爆風で吹き飛んだ鐘楼 ![]() 被爆したマリア像 かなり重い観光だったけど、小腹が空いてしまった。ということで近くの駅から市電に乗って浦上まで行き、昨日の四海楼と評判を二分するらしい『江山楼』の浦上店に入った。もう13時半ということもあってか、店内はガラガラだった。昨日ちゃんぽんを食べたので、今日はもう一つの長崎名物、皿うどんを注文。太麺と細麺があるけど、太麺が大道らしいのでそちらで。たくさんのシーフードに、野菜もたっぷり。野菜は少し故意に焦がしてあるらしく、香ばしい匂いがタレによくマッチしてして美味しい! ちゃんぽんも皿うどんも、どっちも最高に美味しかったなぁ。シアトルでも食べられるところがあるか、ちょっと調べてみることにしよう。帰りにレジで支払うときに、横に『まーらぃかぉ』という蒸しパンがあるのを発見。そういえば小さい頃劇団の仕事で赤坂見附に行ったときに、よく駅の近くの中華料理屋で蒸しパンを買って食べたっけ。あの美味しさを思い出して、衝動買いしてしまった。明日の飛行機の中ででも食べることにしよう。 ![]() 長崎のもう一つの名物、皿うどん ホテルの近くまで市電で帰った後は、Koreyがお土産を買いたいというので、『長崎雑貨たてまつる』という店まで歩いて行った。確かに日本的で面白いアイテムばかりで、トートバックなんかはお土産にピッタリかもしれないんだけど、値段が高すぎ! 仕方ないけど、ここでは買わないことにしよう。空港ではもっと安いものもあるだろうし。 よく観光して疲れたので、ホテルに帰ったらすぐにお風呂。日本はどこのホテルに行ってもお風呂があるので、とても嬉しい。この間夕食の帰りに寄ったドラッグストアで買った入浴剤を使って、すごくリラックスできた。 さて、今夜は長崎の卓袱料理で有名な、『花月』を19時に予約してある。創業376年のこの店は、史跡に指定されているらしい。タクシーで着くと、なるほど歴史を感じさせる素晴らしい建物で、凛とした空気が感じられるよう。個室に通されて、卓袱料理の始まり始まり。 ![]() 入口からして高級感ビシバシ ![]() 個室でゆっくりと食事を楽しめる 卓袱料理とは、西欧料理と中国料理が日本化した宴会料理のこと。本来ならば大皿に盛られた料理を、みんなで取り分けながら食べるらしいんだけど、今回は二人だけということもあってか、少しずつ運んで来てくれた。普通は最初に鯛の椀物が出るらしいんだけど、今回は年明けということもあってお雑煮から始まった。お刺身も美味しかったし、鯨もなかなか。肉にクリームチーズをつけてあるものは、西洋料理の影響を受けたものなんだろう。パスティーと呼ばれるスープの上にプレッツェルの網を付けたようなものは、スープが最高に美味しい上に、プレッツェルが汁を吸って素晴らしい味になってて感動。メインコースらしい東破煮は、いわゆる豚の角煮のようなもの。じっくりと調理されたであろう豚肉は旨みが溢れていて、脂が甘味を出してくれていて最高だった。椀に始まり椀に終わる卓袱料理の最後を飾るのは、お汁粉。ほどよい甘さで、ディナーをしっかりとまとめあげていた。 ![]() 卓袱料理のコース。とても美味しくて満足 Koreyがトイレから帰ってきたときに、廊下に芸者さんたちが並んでいたと言ってたけど、その後いきなり芸者さんたちの音楽が聞こえてきてビックリ! 後で聞いてみると、今夜は二階の大広間で芸者さんたちの大宴会があって、音楽は皆さんを送り出すときのものらしい。いやはや、本物の芸者さんの三味線や歌を聞けるなんて、想像もしてなかった! 最高にラッキー。神様ありがとう! ディナーの後には、二階の大広間や、博物館のようになっている廊下にも連れて行ってくれた。大広間の柱には、昔々につけられた刀傷が残っていて、この場所の古さを感じさせてくれる。博物館のような場所には、昔使われていた古い楽器や、坂本龍馬の直筆の書なんかも展示してあって、すごく面白かった。ここのディナーはかなり高かったけど、食事は美味しかったし、サービスも最高だったし、偶然とはいえ芸者さんたちの音楽も聴けたし、それだけの価値はあったと思う。九州での最後の夜がこんなに満ち足りたものになって、最高に嬉しかった。 ![]() 大広間の柱には刀傷が残っている
by alexsea
| 2019-01-07 00:00
| 旅行記
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