From Seattle, WA, USA
by Alex
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シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。

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余命

6時頃起床して、7時ちょっと前に駅のSガストで朝食。若鶏竜田定食(2枚)は¥480。味にさほど不満はなかったし、量も十分。それでこの値段は本当にビックリ。日本は物価が高いと評判だけど、食べ物はなかなかのクオリティのものが安いので感動してしまう。日本に来て一番懐かしいのは、もちろん友達と、この食べ物の感覚かもしれない。

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若鶏竜田定食も、驚異のコストパフォーマンス

10:30に姪がホテルでピックアップしてくれて、また埼玉県立がんセンターへ。受付を済ませた後は、母に待っていてもらって、この間処方箋を持っていった薬局で返金してもらおう。¥5,000以上返ってきてラッキー。

病院に帰ると、もう母は呼び出されたらしく、この間の先生の部屋に入っていた。火曜日に撮ったCTスキャンの画像を見ながら説明してくれたんだけど、かなり腫瘍が大きな上に、やはり肝臓に転移してしまっているらしい。大きいので手術で切り出すことはできないので、薬物療法に頼る以外ないらしい。それでも完治することはとても難しいとのこと。午後に内科の先生に予約を入れてくれたらしいので、そこで抗がん剤治療についての話を聞くことができる。母の気持ちは、すでに抗がん剤治療を行わない方向に傾いてしまっているらしいけど、全ての判断は先生の話を聞いてからにしよう。

母が先生に余命を聞くと、予想はとても難しいと言った上で、たぶん6か月はなく、3か月でも難しいレベルだという。シアトルで撮ったCTスキャンの画像と比べてみると、たった2週間の間に大きくなっているのが素人目にもわかる。身構えていたとはいえ、3か月も生きられないかもしれないということを医者の口から聞くと、かなりショックを受けてしまった。

外科の先生とのミーティングを終えて外で待っている時、言わないままだったら後悔するだろうことを母に話した。産んでもらえて感謝していることや、シングルマザーで大変な苦労をして育ててくれて感謝していること。アメリカの家族だったらこういう話も普通にするのかもしれないけど、少なくともウチの家庭では気恥ずかしくてこういう話をしたことがない。不治の病気のせいで、時間が限られてしまったからこその話題だと思う。母もシアトルで20年近く過ごせて、友達もたくさん作れて、あっちこっちに行けて、とても幸せだったと語ってくれた。僕が若い頃には金銭的にとても厳しく、母は自殺も考えたと言っていた。その時に死なれていたら、今の自分はない。それほど苦労した母に、幸せだったと言ってもらえて本当によかった。

まだ午後の内科の先生とのミーティングまでは時間があるので、車の中で待っていた姪を呼び出して、病院内のコンビニでお弁当を買って昼食。僕は『悪魔のやきそば』なるものを買ったんだけど、これは今回の日本滞在で唯一ハズレだったなぁ。

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母と姪と、がんセンターの中でランチ

午後の内科の先生は、まるで子供に話すかのように、わかりやすく紙に書きながら現在の状況を説明してくれた。膵臓がん(神経内分泌腫瘍)で、肝転移もある。腫瘍自体は10万人に数人というとてもレアなもので、その中のNET G1、NET G2、NET G3、NECという区分わけでも、一番治療の難しいNECというタイプではないかとのこと。レアだからこそあまりデータがなく、抗がん剤治療を行うとすると、小細胞肺がんに準じた治療を行うことになり、抗がん剤が有効な確率は20~70%と大きな開きがあるらしい。それでも完全に治ることはない。抗がん剤の副作用のことも聞いた上で、母は治療を行いたくないという方向で心が決まってしまったようだ。僕は少しでも長く生きてほしいというのが本心だけど、副作用で母の生活レベルが下がってしまうのは、母にとっても家族にとってもツライことだ。これから出てくるであろう症状や、ケアのオプションを聞いた後、来週の火曜日に正式な回答をするために予約を取って、ミーティングは終了した。

本当なら18日の日曜日にシアトルに帰る予定だったんだけど、どんどん悪くなっていくばかりの母を置いて日本を離れたら、それこそ不安でパニック発作の連続になってしまうかもしれない。パスポートには11月2日までの許可が出ているので、日本滞在を延ばして、なるべく母のそばにいようと決心した。どこかのウィークリーマンションを借りればいいだろう。10月に予定していたフランス旅行もキャンセルしなきゃいけないかもしれないけど、旅行だったら来年でも行けるし、母との時間はこの時限りなんだから。

今夜は焼肉をみんなで食べに行く予定だったんだけど、医者に言われたことをみんなに伝えなきゃいけない。レストランでこういう話をするのもちょっとなんなので、家で夕食の後、家族会議をすることにした。

会計を終わらせると、前回の診察や検査など全部含めて¥6,600ほど。数々の検査や、CTスキャンにレントゲン。アメリカだったら10万円以上かかってもおかしくないレベル。やっぱり日本の医療制度は素晴らしい。月曜日に行った家の近くの病院に帰りに寄って、保険証を登録し、この間の治療費の大部分を返金してもらった。ここでも¥5,000以上返ってきた。

母は病院で疲れたので、家に帰ったらちょっと昼寝。その後は夕食までずっと二人でテレビを見ていた。母とのこういう何気ない時間も、もうこれからは神様からの贈り物だ。ウィークリーマンションのことをネットで調べると、兄の家の辺りには全くなくて、ちょっと遠くの駅まで行かなきゃいけないらしい。それだったら今のホテルが安いので、そこに滞在して、兄に自転車を借りて家まで通った方がいいかもしれない。

夕食は家で焼肉。家族みんなで食卓を囲んで、ワイワイ言いながら美味しく食べた。食後には、今日先生から言われたことをみんなに伝えた。3か月もないかもしれないとの言葉に、兄がかなりショックを受けていたのが見えた。今やっと母がいなくなってしまうということが、現実として感じられたんだろう。しどろもどろになっていて、ちょっと可哀想だった。

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みんなでワイワイと焼肉。やっぱり楽しいよね。

姪と義姉にホテルまで送ってもらった後は、とりあえずホテルに8月いっぱいの予約を入れておいた。明日から新宿で8泊することになっているけど、その後はまたこのホテルに戻ってくることができる。

缶チューハイを飲んだ後は、結構すぐに寝てしまった。

by alexsea | 2019-08-09 00:00 | 日記 | Comments(5)
Commented at 2019-09-01 12:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2019-09-01 12:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2019-09-01 12:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 大宮 at 2019-09-01 12:30 x
 ◆


栄養消化の回路構造として

消化に時間がかかる=スタミナが持続する

あまいプリンを食べると、一気に迅速に血中に糖分が回るが
欠乏するのもあっという間であり(自転車で100km移動するようなときは甘いものは当てにできない)

使い切れない糖分は脂肪に変換されたり、がん細胞の餌としても十分量となる。

簡単に試せる実験がある。
炊飯器で、米を炊くだけ。

A群:いつものように、白米だけを炊飯

B群:3割を、もち麦にする

おかずは貧弱なものにして(ふりかけ、納豆程度)、次におなかがすくまでの経過を観察する。

もち麦は、白飯より水を多くして炊くのだが、それでもやや硬めに炊ける。
漬け時間を長くして無理して柔らかく炊くのではなく、白飯とおなじ時間で炊いて10分間蒸らし、硬い触感を楽しむ姿勢で。

もち麦はあまり消化が良くないが、長持ちする。夜食を欲しくならない。
これはつまり、糖分を少量づつ補給しているのと同じこと。

がっつり食べてもすぐまたお腹が減るよりは、消化器や循環器や代謝にとっても、やさしいし、健康を阻害しない。

この消化時間に依存するスタミナ法が、パスタ。
プロスポーツでは、アルデンテのパスタはスタミナ食の基本。

デュラム小麦はもちもちしていて、茹でても全然溶け出さない。よって消化時間も長めで長時間スタミナ源になる。すぐ溶ける麺はいわば粉のままなので、すぐ消化してしまってすぐお腹がすく。
Commented by alexsea at 2019-09-01 17:03
>鍵コメントさん

本当に色々な情報を書いていただいて、ありがとうございました! 母の意思は決まっているようなので大幅な変更は難しいかもしれませんが、書いてくださった方法を試す機会もあるかもしれません。お医者さんによると、入院中ももし家族と外出したければ気軽にできるということなので、できるだけ家族でいい思い出を作りたいと思っています。
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