From Seattle, WA, USA
by Alex
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シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。

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母の入院

朝5時過ぎ、ちょっと悲しい夢を見て目が覚めた。夢の中で知り合いだった女の子(現実にはあんな子は知らない)に永遠に会えなくなってしまうらしく、お別れを言っていた。「寂しくなるよー」とか言って手を握ってたところで夢が終わった。

起き出すと、なんか喉がイガラっぽいことに気づいた。えー、これってもしかして風邪の初期症状?! 外は暑く中は涼しく、体調を崩しちゃったのかなぁ。いやだなぁ。酷くならないことを祈るしかないか。

メッセージが入ってないかとスマホをチェックすると、母から5時にLINEが入っていて、食べられなくなってしまったので今日病院に行くということが書いてあった。LINE電話で話したら、食べ物を見ると吐き気がするらしい。朝一で病院に行くらしいので、僕もそれに合わせて行くことにした。食べられないとまずいので、これは入院して栄養点滴になっちゃうかなぁ。

7時過ぎにホテルを出て、昨日のマクドナルドで朝食。今朝は昨日の失敗を踏まえて、ソーセージエッグマフィン。やっぱり日本で作られているだけあって、アメリカで食べるものよりも丁寧にできてる感じだった。

母の入院_d0113429_15214790.jpg
アメリカのものよりも丁寧に作られてると思う

7:59発の湘南新宿ラインで埼玉へ。向こうに着くと、姪が駅まで車で迎えに来てくれていてビックリ。母と義姉はすでに病院に行っていて、そこまで送ってもらった。母と義姉には待合室で合流。土曜日に会う予定だった先生のオフィスに入った。

先生が言うには、食べ物が食べられないのは、腫瘍が胃や十二指腸を圧迫しているんじゃないかとのこと。胃にステントと呼ばれる管を入れて食べ物を通りやすくする方法や、腫瘍の向こう側の小腸に直接管を入れて食べ物を注入する方法もあるけど、どちらも体に負担をかける手術をしなければならないらしい。母としてはそれはもうやりたくないので、そうすると残りは電解質の入った点滴と、高カロリー点滴とのこと。でも高カロリー点滴は体にキツイので、注入できる個所が限られているし、2週間くらいが限度だという。なので現状としては、入院して普通の電解質の入った点滴をして、母が食べられるようになるかどうか様子を見て、その後でまた判断していこうという結果になった。幸いなことに個室がちょうど空いたところだったので、ちょっと待っていれば部屋が用意できるらしい。

待っている間に、母に精神的に大丈夫かと聞くと、全然平気だとのこと。人間はいつか死ななければならないし、それがちょっと早まっただけだと言う。母の残りの時間の中で、僕も全部伝えたいことを伝えるし、できることをしてあげたい。最後の日に、やれることは全てやったんだから悔いはないと、気持ちよく送り出してあげたい。母とのこういう時間が持てるって、不幸の中でもラッキーだったと思う。明日から毎日病室に通って、母と色々な話をしたい。

30分ほど待った頃、個室に入ることができた。完成して一年の新しい病院なので、全てがすごく綺麗。この部屋は、シアトルで検査入院した時の個室とレイアウト的に似てるかな。でもナースコールのボタンも、ベッドの上げ下げのリモコンも全部日本語なので、母が自分で操作できる。

母の入院_d0113429_15215229.jpg
綺麗な個室に入院

母が落ち着いたのを見て僕たちは病室を去り、義姉に最寄りの駅まで送ってもらった。本来なら新宿のホテルを日曜日にチェックアウトして、以前泊まっていた埼玉のホテルに長期滞在する予定だったんだけど、明日チェックアウトして、兄の家の母の部屋に転がり込んでしまうことにしよう。少しでも母との時間を一緒に過ごしたい。埼玉のホテルにキャンセルの電話を入れて、電車の中で食べる昼食を駅の売店で買い込んで、新宿まで戻ることにした。

ホームで電車を待ってる間、体がひどく重く感じ始めた。やばい、これは完全に風邪かもしれない。電車の中で持ってきたイブプロフェンを飲んだけど、今夜みーなさんに誘われていた夕食には行けないなぁ。楽しみにしていただけあって悔しい!

母の入院_d0113429_15215761.jpg
電車の中ではサンドイッチとおにぎりのランチ

ホテルに帰ってからは、フロントで明日チェックアウトしたいことを告げた。すると、前日にそのことをホテル側に伝えたので返金対象になるとのこと。えー! てっきり2泊分のお金は無駄になると思ってたのに! 約2万円近く返ってくるらしい。フロントの対応もよかったし、こういうことされると、このホテルをひいきにしたくなっちゃうじゃないかー!

ベッドの中でゆっくりと休んだ後は、夕食も外に出る気にならないので、ホテルのレストラン『ステーキ&ハンバーグ匠』で済ませてしまおう。ハンバーグと匠ロースのセット。日本のハンバーグとステーキ!って感じでとても美味しかったけど、赤のグラスワインはいただけなかった。全ての人にとって無難なワインを選んでいるんだと思うけど、そのせいか味がどっちつかずで優柔不断な風に感じた。典型的な安ワインの味。

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ハンバーグと匠ロースのセット。とても美味しかった

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レストランのレジで、強烈なインパクトのうまい棒をおまけでゲット

その後はまた薬を飲んで部屋でずっと休んでいたので、少しは体が軽くなった気がする。よかったー、今夜はパリで会ったヒロラくんと飲みに行くことになってるんだ。彼も偶然日本に里帰りをしていたらしく、日程が合ったので会うことになった。待ち合わせのバーには同時に到着。カウンターに座って、ガブガブ飲みながら本当に色々な話をした。彼にはパリでワインの見本市に連れて行ってもらったり、花見に連れて行ってもらったりして、本当にお世話になったよなぁ。日本にいるときにはそのバーによく来るらしく、店の人とも知り合いだったのには驚いたぞ。それに、パリに住んでいる彼の知人にもバッタリ会ってビックリ。店が閉まる1時までずーっと話に花を咲かせていた。10月のフランス旅行はキャンセルすることになるかもしれないけど、パリに行ったときにはまた遊んでね!

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ヒロラくんと飲むのは1年半ぶり。楽しかったー!

明日のチェックアウトは11時なので朝はゆっくりできる。興奮状態がなかなか抜けなくて最初は寝付けないかなとか思ったけど、気がついたら眠っていたみたい。

by alexsea | 2019-08-15 00:00 | 日記 | Comments(5)
Commented by 大宮 at 2019-08-28 19:01 x
高校時代、祖母が夢に出てきて「気をつけなさいよ」とつぶやいた次のシーンに自転車で車にひかれとところで目覚め

自転車で登校中に見事にはねられた

学校は小山ゆうえんちのそばだったが、バイファムを見ていた頃に「小山ゆうえんちのそばで暮らせたらいいなあ」と思ったら親の小山地域への転勤が決まった。まさかの大宮市からの転出。

その直後、小児がんになって生死の境目を味わうことになる。バイファムを見ることだけが命をつなぐ生きがいとなった。
固執病室にしかTVがなく、最終回の日は大部屋の所属だったので、空き部屋の固執病室へ忍び込み、ウォークマンで録音しながら、なんとか最後まで見た。放送終了3分後に婦長に見つかって尋問された。

https://geasszero.hatenablog.com/entry/20140710/1404919017
http://f.hatena.ne.jp/geasszero/20140528205655
https://geasszero.hatenablog.com/entry/20161223/1482415096

とにかく、神に常に宿られ、因果な人生だった。
余命一ヶ月宣告が出た頃、必死で泣きながら神に祈ったのだ。
その数日後に主治医は、アメリカでまだ新しい治療法(HDMTX)というのを論文で発見し、医局に逆らって導入し、1年後に退院までこぎつけた。

埼玉県立がんセンターは、震災前に住んでいた地域で、上尾と蓮田の往来で頻繁に通っていたよ。

 ◇


あの闘病で一生の運勢と、一生分の苦労と、他人大勢の運勢まで使い果たしたのか
一家離散して久しい

孤独な人生で身軽ゆえ、各国政府を動かすあぶない裏方などやっていられる。

貴君はして過ごすことだね。

「ミューラァの最後の忠告」のような気持ちで忠告している。
Commented by 大宮 at 2019-08-28 19:11 x
小児がん発症直前
バイファム前半クール放送中

大宮から上尾まで、自転車で中山道沿いを英語塾へ通った。

中山道の上尾陸橋の交差点を、東に行くと「はま模型」
ガンプラの聖地で、バイファム1/100も何度か買った。
いまも営業中。

アリコベールではバルキリーやスコープドッグの玩具を触って遊んでいた。近くのキンカ堂ではじめてファミコンというのをプレイした。

何の因果か、ITバブル時代には霞が関の省庁まで出入りするITエンジニア(派遣)もやった。そうこうしていたら小泉改革やらに関わって政治を動かす立場をするようになった。

先の市川一門への助言のブログ記事も
自身が重度の小児がん経験者だからこそ、医療に詳しくもなり、色々と助言できた。報道で海老蔵が「ネットで助言をくれる人の中にはまるで医者のように詳しい人達がいる」と言っていたのは私も含まれる。

お母さんはすでに緩和ケアなのだから、無理のない範囲で一緒に過ごしたり出かけるといい。

むろん、無理して動くと腫瘍が悪さをする様態のようだから、無理は禁物だが、主治医がそういうことをしてもいいと助言しているようだから、医師の判断の範囲なら大丈夫だ。
Commented by 大宮 at 2019-08-28 19:25 x
すまない、ひとつ訂正がある。

はま模型、廃業したそうだ。
http://xelvis.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-d511.html

いまは西多摩の山際に隠居してて、現地事情に疎くなっていた。

実は私は、バンダイとサンライズに意見だけ介入して、ガンダムUCやラブライブなどの企画立案をやっていた時期があってね。


わざわざ自作の作例の画像に、アニメのカメラアングル合わせてもらったりした。画像のタイムスタンプの通り、アニメのほうが後なんだよ。
https://geasszero.hatenablog.com/entry/20100804/1280858826

ゆえにダイバーシティの実物大のやつも思い入れは深い。
現地は常に外国人が多く、地球連邦そのものなのさ。

ガンダムの、ビルドファイターズの立案をやることで、模型業の後方支援を実現していたのだけど

それだけでは、経営持続性には至らなかったようだ。はま模型。

いまや昔ながらの模型店でも存続しているのは、立地が良いとか、TCGやトイも売ってるとかいう総合業に転じている店ばかりだからね。はま模型は立地が良くないし事業拡大もしなかった。

バイファムが一生で一番大好きなロボアニメの奴が、

ガンダムやナイトメアフレームにスリングパニアを付けてSEEDしたりギアスしたりと、そういう「影の日本史」もあったのさ。政治を動かすことを含め、裏方に徹していて、名は残らないんだけど。

私は小児がんでいたく生理機能を損失している。どれだけ能力があっても表舞台では仕事としてはこなす事ができない。
Commented by 大宮 at 2019-08-28 19:36 x
以下、極めて蛇足。

好きだからと言うより
世渡りの過程で精密製造業も手掛け
自分の技術で「世界中の誰もできなかったことを成し遂げておく」コンセプトでね。

祖母も上野の美術館の展覧会で1等もらう彫金家だし、先祖も仏師。負けられなかった。
https://geasszero.hatenablog.com/entry/20180529/1527523093


https://geasszero.hatenablog.com/entries/2012/03/29

https://geasszero.hatenablog.com/entries/2010/04/12

きれいな美術品を作ることに興味がないので
可動部分や形状の徹底再現がメインだけども。

こうした習作は、バンダイホビーと連絡を取り合い、最新ガンプラやROBOT魂にも投影されていった。

以下は、ガンダムエクシアPGのLEDバージョンの開発ヒントになったもの。

https://geasszero.hatenablog.com/entry/20140702/1404231606
Commented by alexsea at 2019-08-29 10:31
>大宮さん

小児がんとは、本当につらい体験をされてきたんですね。そんな中で、バイファムを見ることが生きがいだったとまで言っていただいて、本当にありがとうございます。最終回を見るための努力には、僕の方が感動しました。僕は好きなことをしていただけの10代でしたが、バイファムを見てくださっていた方々の人生に自分の行動が影響していたかと思うと、なんだかこの世界の大きさに畏怖さえ覚えます。自分のやることが少しでも他の方々の幸せに繋がるって、こんなに素晴らしいことはないと思います。ブログの方、後でじっくりと拝見させていただきます!

模型についてはあまり興味がなかったんですが、バイファムの模型が発売されたときには、あまりに嬉しくておもちゃ屋に買いに行って、初めて自分で作ってみた記憶があります。何もわかっていないとても稚拙な作り方でしたが、完成した時の達成感がすごかったなぁ。あれから何度も引っ越しをしたので、それはどこかに行ってしまいましたが、僕にとって初めての模型だったんだから、ちゃんと取っておけばよかったなぁ(笑)。
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