![]() From Seattle, WA, USA
by Alex プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。 ● 詳しいプロフィール ● 旅行記メニュー (個人的に連絡を取りたい方は、メールアドレスの入ったメッセージを非公開コメントとして残していただけると嬉しいです) カテゴリ
[一覧] 旅行記日記 旅行記 エッセイ パリ生活2018 夢日記 映画・DVD レストラン 過去日記 以前の記事
2023年 08月2023年 07月 2023年 06月 2023年 03月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 06月 2022年 04月 2021年 12月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 10月 2016年 08月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 04月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 10月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 10月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 05月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 06月 2004年 05月 2004年 04月 2004年 03月 2004年 02月 2004年 01月 2003年 12月 2003年 11月 2003年 10月 2003年 09月 2003年 08月 2003年 07月 2003年 06月 2003年 05月 2003年 04月 2003年 03月 2003年 02月 2003年 01月 2002年 12月 2002年 11月 2002年 10月 2002年 09月 2002年 08月 2002年 07月 2002年 06月 2002年 05月 2001年 03月 2001年 02月 2001年 01月 検索
ブログジャンル
|
She Works Hard For The Money
夜中の3時半頃、腹痛で目が覚めた。お腹の左側から全体的に鈍い痛みが広がってる。それほど酷い痛みではないものの、無視して眠るほどの軽い痛みでもない。お腹を軽く押すと、少し痛みも増すようだし。どうしようかと思ったんだけど、水を一杯飲んだ後はお腹が動き出す感じがして、その後は少しずつ痛みが引いていったのでホッとした。単にガスが溜まっていただけなのかもしれない。まぁ明日には腸カメラで検査してもらえるので、それほど気にすることはないかもしれない。痛みが引いて安心した後は、8時過ぎまで寝ることができた。
朝はまだ雨が降っていなかったんだけど、お昼過ぎから予報通り降り出してしまった。幸い兄は今日は休みらしいので、13時頃車で病院に乗せて行ってくれることになった。途中でコンビニに寄って、昼食用のパンと、夕食用のカップうどんを購入。明日の検査のために、今日は消化の悪いものは食べてはいけないので、果物類・豆類・海藻類・きのこ類・種実類の入っていないものを選んだ。 病室に入ってからまず最初にやったのは、姪に借りたサーモスに冷蔵庫の冷たい水を入れること。母は冷たい水しか飲む気になれないらしく、いつも水のボトルは病室備え付けの冷蔵庫に入っている。でもちょっと飲みたいなという時に、起き上がって冷蔵庫まで行って水を取り出さなきゃいけないので面倒で、我慢してしまうことが多々あったらしい。だからどこかで僕がサーモスを買って来ようと思ってたんだ。そしたら母がそのことを昨日の夜義姉と姪に話したらしく、姪が使っていたサーモスを貸してくれることになった。このサーモスは母の力でも簡単に開けることができて、ベッドの横のテーブルにずっと置いておいても温かくならないので、母はいつでも水を飲むことができる。僕がいる間だけでも4~5回はサーモスから水を飲んでた。楽に水を飲むことができるようになって、本当に良かった。 母はやっぱり昨日と同じ感じで、それほど元気があるわけではない。でも今日は吐き気止めの小さな点滴もしたらしく、ムカムカはないみたい。でも食欲が全くないので、これからは弱っていくばかりなのかもしれない。トイレに行くにも、かなり体が弱ってきたので足がおぼつかないと言う。そんな時にはちゃんと看護師さんに頼まなきゃダメだよと言っておいた。 僕はお腹が空いていたので、その後はコンビニで買ってきたハムチーズパン、チョコレートパン、クロワッサンを食べまくり。美味しかったけど、やっぱりなんか物足りないような気がするなぁ。兄は30分ほどで帰ったんだけど、その後は母と一緒に『刑事7人』を観た。いつもの『科捜研の女』よりもいいや(笑)。主役があまり好きじゃないんだけど、ストーリーがなかなか面白そうだったので、最後まで観てしまった。 その後はまた昨日の昔話の続き。中野のマンションに住んでいたときの、様々なハプニングを母と話した。10階のベランダから風で柵が落ちてしまって、人に当たったらどうしようと怖くて下りて行けなかった話。結局これは全然大丈夫だったらしく、マンションの管理人さんが落とし物として管理人室の前に柵を立てかけておいてくれたらしい。あと、そこに住んでいる時に買った柴犬のエスを僕が散歩に連れて行った帰りに、僕だけがエレベーターに乗って、犬が乗る前にドアが閉まってしまったこともあった。エレベーターに乗ろうとしていたおばさんが叫んでくれたお蔭で、管理人さんが犬の紐を外してくれたお蔭で助かったんだった。僕はまだ小学生だったんだけど、生まれて初めて膝から下がガクガクしていたのを覚えてる。本当に管理人さんには色々な事で感謝! あと一歩というところでいつも大丈夫だったよねと話していて、僕も思い出したことがあった。もう会社に入った後だと思うけど、母のスナックを定休日に借り切って友達とパーティーをした時のこと。パーティーの片付けが終わった後、戸締りをして僕は家路についたんだけど、50mほど歩いた後なぜかとても後ろ髪を引かれるような気がして、引き返してチェックすることにした。そうしたら、ガスレンジのつまみの一つが少し傾いていたことを発見。匂いはしなかったし、もしかしたらガス漏れはなかったかもしれないけど、もしそこから少しでも漏れていて、後にガス爆発でも起こしたら大変なことになっていただろう。 こんな風に考えると、危ないところではいつも大丈夫だったし、経済的に厳しい時に偶然区役所で都営住宅の貼り紙を見たりしたのも、ご先祖様か「何か」にいつも護られている気がするねと母と一緒に話していた。そう考えると、今は神戸にあってなかなかお参りにも行けない難波家の墓も、もっとみんなが行きやすい場所に移さなきゃいけないんじゃないかという話になった。母は自分が死んでしまったらもうどんな風にしてもいいと言ったけど、やっぱり兄や甥がいる限りは、簡単に行ける場所に移した方がいいんじゃないかな。僕も日本に来る度にお墓参りに行きたいし。最終的には血は途絶えるのかもしれないけど、実際にそうなるまでは、可能な限りご先祖に感謝の気持ちを持ち続けなきゃいけないんじゃないかなと思った。 昔話の一環として話してたんだけど、母はあちこちから借金をしていたので、スナック経営の他にも副業を持たなければいけなかった。西新宿5丁目に住んでいたときには朝からホテルで食材の前準備をしていたらしいし、都営住宅に移ってからは近くのお弁当屋でパート、その後もどこかの社員食堂でパートをやっていたらしい。その頃は僕はもう大学生だったので、母がそんな大変な時期に一体何をしていたんだと、今の自分からするとその頃の自分に憤慨してしまう。でも母は、僕が演劇活動で貰っていたギャラにすごく助けられたと言ってくれた。後悔先に立たずだけど、もう少し母の役に立てればよかったのになぁ…。 そんなこんなで今日のお見舞いは終わり。タクシーで帰ろうか歩いて帰ろうか迷ったんだけど、それほど激しい雨が降っているわけでもないので、初めて病院から歩いて帰ってみることにした。気温は23~24℃くらいなので、雨が降っているとはいえ、歩くにはとてもいい感じ。25分ほどかかったけど、それほど長く歩いた感じはしなかったな。これからもっと涼しくなってきたら、病院には歩いて通うのもいいかもしれないな。 家に帰ってからはメロンパンをおやつにして、その後はみんなの夕食のちょっと前にカップのきつねうどんを食べた。『赤いきつね』って名前はずっと知ってたんだけど、これを実際に食べるのは初めてだった。結構美味しいんだけど、油揚げがすごく甘い! これが普通の油揚げだったら最高だったんだけどなぁ。今日食べることができるのはここまで。これから明日検査が終わるまでは何も食べられない。 ![]() 『赤いきつね』は甘い油揚げ以外は美味しかった 20時にまず粉薬の下剤を飲んで、寝る前には目薬のような容器に入ってる下剤を飲む。もうそれだけでかなりお腹が活発になっちゃって、トイレにはかなりの回数通ったと思う。それで体も疲れてきたのが、23時半頃消灯したら、すぐに眠れたと思う。 ![]() 明日は朝からこの薬剤を2リットルも飲まなきゃいけない…
by alexsea
| 2019-09-18 00:00
| 日記
|
Comments(5)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
![]()
大変な境遇なのに、こちらの私事ばかりで申し訳ないが…
カチュアが嫌いだった。自分はデコが広くて、たとえ転校してもからかわれ、それに基づくあだ名が付く。 ケンツの蒙古斑の話題も、年齢なりに家族とよくしていた。 別所小(若田光一出身)の近所が宅地造成でぬかるみになってて、下校時に足を踏み入れたら長靴だけ持っていかれて行方不明に。後日、ケンツが底なし沼へ… 離婚後の家事は全て自分の当番。 過失や故意で、言い訳を親にする機会は度々あった。9歳だし。ペンチの失敗は全然他人事じゃなかった。食費ちょろまかして1/100バイファム買ったりもしてた。掃除や炊事や洗濯が追いつかないこともあった。 うちの弟はいつまでも寝小便グセが抜けない。耳の裏は鍵っ子の兄がいつも洗う、そう父にきつく言われていたから。 いちいち、放送ネタがその当時の人生にかぶさるんだよ、バイファムは。 シンクロニシティ。 ◆ 親と決別してからは、 能動的にこちらから各業界や政界にアクセスして、可能なら現場で仕事して、影響力とか、意見できるコネをつくっていったから 今、アニメ特撮、ドラマ映画、ゲームなどに、意見して、実装されるのは、当たり前になっているんだけど 当時は9歳で、神がかりなシンクロニシティの連続でしかなく。あそこまで頻繁なのは一度きりだった。 小児がんリンパ腫になり、実費では家計が破産しても足りないので 小児慢性疾患認定を厚生省から受けた。当時の大臣の押印が渡部恒三 その後、民主党が与党を獲得する工作に加担した。結果的に恩返しだとわかったのは、カルテを取り寄せるなどした、だいぶ後になってから。 中学一年、生徒が勝手に日テレ「第一回 人文字コンテスト」に応募 成り行きで四番町の収録に行く委員に選ばれバスで上京。 ゲストが後の総理、海部俊樹、マリアン、塩沢とき、ら。 司会は高島忠夫 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 全日本人文字コンテスト 優勝シーンはアップで写ったが、一緒に写ったのがのちにネオジオフリークの有名ライターとなるDSPたろりん、成人直後まで親友の一人。
0
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
>大宮さん
本当に大宮さんのシンクロニシティ、スゴイですねー。偶然と必然は紙一重と言われているけど、やっぱり人間が理解できない流れというものは僕はあると思っています。「縁」っていう言葉もシンクロニシティに通じるような感じで、日本的な言葉で大好きです。
|