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by Alex プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。 ● 詳しいプロフィール ● 旅行記メニュー (個人的に連絡を取りたい方は、メールアドレスの入ったメッセージを非公開コメントとして残していただけると嬉しいです) カテゴリ
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宇宙人との会話
今日は何か、不思議な感じの夢を見た。なんだかたくさんの人たちに、すごくパワフルに偉そうに振舞ってたような…? 途中で起きた時や、朝起きてすぐの時にはまだ覚えていたんだけど、今となってはすっかり忘れてしまった。書いておこうと思ったのになぁ。
布団でうだうだしている時に、兄が叔父の家に電話してお墓のことを聞いていた。結果、やっぱり神戸のお墓は叔父のものなので、僕らがそこに入ることはないらしい。お墓って代ごとに作るものだったの? そうなるとこっちでお墓を作るか、またはお寺で永代供養してもらうか、あるいはシアトルで散骨だけにするかの三択になる。兄は義姉に全部任すと言ったので僕はカチンときて、自分の母親のことだろうが!と怒鳴ると、そういうことは全部義姉にいつも任せているので、家のことをとやかく言われたくないと言ってきた。だって、母親のことなんだよ? そんなことを任された義姉も困るよ。もう手が震えるほど頭に来た。以前から感じていたんだけど、兄と話していると宇宙人と会話してる気になってくる。この人は普通じゃない。感覚が完全にズレてる。最近は少しは大丈夫かと思っていたんだけど、やっぱりこの人とは家族付き合いはできないや。遠い親戚の人レベルで、ごく浅く付き合っていくしかないだろう。 外は暑くて風が強い。今日は秋分の日なんだけど、また夏の最中に舞い戻った感じがする。でもこの強い風が、季節が確実に移行していることも感じさせてくれて、なんだか今日は夏の最後の名残のようにも思った。 スーパーに行って、昨日母からリクエストがあったお寿司のパックを買って、僕がそれだけじゃ足りないかもしれないので、お赤飯のおにぎりと、黒糖のおまんじゅうも買った。こういうプラス・ワン的な買い物は、これから控えるようにしなきゃダメだな。あまり運動してないから、これ以上太りたくないもん。病院の近くで自動車の事故があったらしく、たくさんのパトカーや見物人が交差点にいたのを横目に見ながら、病院の中へ。 母はお寿司のパックの中から、イカとハマチを食べてくれた。以前義姉と姪が買ってきた時には酢飯は食べなかったらしいけど、今日は調子がいいらしいので僕も嬉しい。赤飯のおにぎりも後で一口食べてくれて、「美味しかった。お赤飯が食べたいと思ってたの」と言ってくれた。僕は黒糖のおまんじゅうをデザートに食べた。黒糖大好き! ![]() 母が2つだけ食べて、僕が残りを食べた ![]() 黒糖まんじゅうは美味しい! まず母と話したのは、お墓のこと。僕はてっきり自分も神戸の墓に入ると思っていたから、母が散骨がいいと言った時は、少しは家族のお墓に入れた方がいいんじゃないかと提言したわけ。でも神戸の墓は家族の墓ではないらしいので、どうするか考えなければいけない。それだったら最初の母のリクエスト通り、家の前のユニオン湖と、Foxの灰をまいた海に散骨するだけでいいかもしれない。母も言っていたけど、お墓がなきゃ故人を思えないことはないと思う。母は祖母の写真を部屋に飾っていて、ご飯の時には、炊飯器のご飯を一番最初に祖母用の小さな皿に入れてあげてた。そんな風に、いつも覚えていることが大事なんじゃないかと思う。兄がどこかの寺で供養したいならばその分のお骨は置いていくので、後は兄の家族で勝手にやってもらえばいい。僕は灰をアメリカに持ち帰って、母の希望通り散骨してあげよう。 今までは神戸の墓の中のご先祖のことまで考えていたので気が重かったけど、その墓は叔父に任せて、兄の家族はやりたいことをやって、僕は僕で母の希望通りにするだけなので、少しホッとしたかもしれない。母の死後のことを、こんなに自然に母と話せてしまっている自分が時々イヤな気がするけど、死は誰にも来るものだから、話しておかなければならないことはちゃんと話すべきなんだろう。 「不安はない?」と母に聞くと、全然ないと言う。でも本当にせっかちな人なので、いつ逝けるのかと今では心待ちにしているみたい。どんどん弱っていく体がもどかしいだろうし、入院費とかで僕らに迷惑をかけていると思っているのかもしれない。でも僕はこんな風に母と一緒の時間を過ごすことができて嬉しい。今まで気恥ずかしさもあって、あまり一緒の時間を過ごさなかったことを少し後悔してるけど、この今という時間はこの先後悔しないために、僕と母に与えられたものなんだ。 今日のテレビは『ドクターX』。僕は観たことなかったんだけど、母はシアトルでずっと観ていたらしい。なんかこれ、女版ブラック・ジャックじゃん! いちいち演出や演技がオーバーなことを除けば、最後にはスカッとさせてくれる時代劇のようで、なかなか面白かった。BGMもなんとなく時代劇みたいだったしね。結局母とストーリーや役者のことをワイワイ言いながら、2本連続で観てしまった。調べてみると、シーズン6が10月から始まるらしいので、その番組宣伝のために再放送をしてるんだろう。 結局テレビをずっと見ていたせいで、今日は病室に5時間居たことになる。僕が居ることで母を疲れさせてないといいんだけど、いつも僕が帰る時には「楽しかった。ありがとう!」と笑ってくれる。こういう日が、あとどのくらいあるんだろう? 家に戻ったらエアコンを点けて、チューハイを飲みながら日記書き。夕食は鶏肉の乗ったお弁当。とても美味しかったんだけど、なぜか今日は半分くらいしか食べられなかった。こういう時には無理して食べない方がいいので、後で食べようと思って残しておいたんだけど、結局それも食べる気がしなくて捨てることになっちゃった。もったいないことしたなぁ。 ![]() 鶏肉とラー油のお弁当 テレビを点けたら、『Qさま!!』をやっていた。母もまたこれを観てるんだろうか? 電話をかけようかとも思ったけど、寝てるかもしれないし、電話で話しながらテレビを見るのは結構体力を使うかもしれないので、やめておいた。明日この番組のことを話せばいいや。 テレビを見ている最中に、この間30年ぶりくらいに偶然再会した星野さんからLINEが入った。今度またどこかで会おうと言ってたんだけど、星野さんのスケジュールが夜がなかなか空かないらしいので、木曜日にランチをすることになった。わーい、楽しみだぞー!! だらだらとネットサーフをしていたら、気づいたら12時半だった。早く寝なきゃ。
by alexsea
| 2019-09-23 00:00
| 日記
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Comments(7)
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お母様、少しでもその時食べたいものが食べられて良かった。
近くに回転寿司屋あったら、好きなネタだけ作ってもらってテイクアウト出来るのにね。 お母様との楽しい時間をたくさん楽しんで!私も思い出しちゃった😊
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![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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返信不要
刑事とともに捜査し、被疑者を追い確保し、必要なら警察庁に助言し逮捕へ導き 法廷で検事と裁判官、弁護士同士のやり取りも無数に傍聴し さらに高度医療現場で経験や知識を少しは伝授される機会を得た その経験と技能でいうと 兄上は、ここは触れたくないトラウマなんだな。 そしてこの件は話す相手が弟だと絶対に解決しない。 サラッと機械的なドライな性格で言ってのけている感じはしてこない。漫画の心情表現「黒線グジグジ球」、あれを心に抱えている、心のつかえがある人だ。 無論、土地と石と植木で200~500万円はするだろう墓を買いたくないだけかもしれないし、そこに母への思い入れの浅い深いも絡んでるかもしれない。弟と深い話をしたがらない=母と同等程度に距離を起きたがっているのかもしれない。 だって、兄、すぐ見舞いから帰っちゃうんでしょ。 事件性ではないんだけど、民事の事案としてみたら、 本件はすでに兄の動機や利害は過半数透けて見えているよ。そして必ずしも悪意や過失とも言い切れない。いわば揉めたとしても家事=家裁で調停員と裁判官になだめられながらほぐしていくような案件だね。 裁判官の思考回路でいうとね、 じつは、この際、母の前で思いを吐露すべきは兄なのかもしれない、とも思う。これまで何かトラウマを我慢することで母や弟と距離をとってきたならば。 そして母弟は、あえて兄が何を打ち明けて怒鳴ろうともその場では無礼講に徹する。 花の慶次でいうと、泣いて打ち明ける石田三成かな。 ただ、本人が嫌ならば無理してまで促すことではない。無理強いはトラブルを増やす。 ↓ そうなるとこっちでお墓を作るか、またはお寺で永代供養してもらうか、あるいはシアトルで散骨だけにするかの三択になる。兄は義姉に全部任すと言ったので僕はカチンときて、自分の母親のことだろうが!と怒鳴ると、そういうことは全部義姉にいつも任せているので、家のことをとやかく言われたくないと言ってきた。 ![]()
返信不要
実は、うちも全く同じ喧嘩はあった。 両親があんなだから、職も続かず、家が保てず、喧嘩も怒鳴りも常にある。よりによって親類縁者もほぼ無し。祖父が次男坊とかいろいろな理由で。 親や実家の家庭に頼るどころか吸い取られかねないので、私は完全独立して一人で全て得てきた。参院議員会館で国会議員相手のオンサイトもやれば、田舎でキャベツ収穫作業もやる。実家と連絡は取らない。居場所を知られるとたかられかねない。家を借りるのがとにかく大変。 すぐ下の弟は、私と違って才能では生きられないやつだから、実家筋と付き合い続けて生きていた。土地を離れず地味にコツコツ。幼少から親に虐待される人生。心の殻が固くなりすぎて、話を聞かない、話をゴリ押しする、が徹底している。 「兄はなぜ兄弟や母の面倒を見ない」 私は相手にしなかったが、弟はいつまでもかみついてきた。 そこには解決法がない。答えなどでない。 親に財産も運も吸い取られるのは答えではない。自分ひとりで生き抜くことも瑕疵がないとまではいえない。 たとえ肉親で家族だろうが、何年も疎遠または無縁でいれば、親しい知人よりよほど遠くて他人同然となることもあるよ。 こと、うちの場合は、有害な血縁と、無害な知人だったからね。 そちらのお家事情はまただいぶ違いそうだけども。 しかしまた、共通点もありそうじゃないか。 もし君の友人たちに兄との確執を話しても、きっと何人かは「いやALEXきっと君にも非はあるよ」ぐらい言う人はきっといる。お国柄は、性格や生い立ち以上に決定的に違いがあるからね。ロディとミューラァの喧嘩に近い部分もあるんでは。 世の中、自分と違いすぎる人間や民族なんて無数にいる。 非難したり喧嘩するのは避けたいが 別に無理して仲良くしなくてもいい、ってのは欧米的なのだと思っているけど。 一応、私も各国政府を動かす陣営のはしくれだから、遠からずイスラム圏とキリスト圏の確執も希釈霧散させることを画策しているけど、これは無理強いしても一過性になるので双方の納得を引き出しながらサステイナビリティを獲得するやり方になる。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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