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by Alex プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。 ● 詳しいプロフィール ● 旅行記メニュー (個人的に連絡を取りたい方は、メールアドレスの入ったメッセージを非公開コメントとして残していただけると嬉しいです) カテゴリ
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点滴を変える日
今日は結構よく眠れたと思う。最近、眠れる日と眠れない日が交互に来てるみたいな?
10:45くらいに自転車で家を出て、コンビニでランチを購入。どうしようか迷ったけど、シュウマイ弁当とうまから棒1本にした。湿度は低いみたいだけど、相変わらず温度は高くて、自転車を漕いでいると汗が出てしまう。早くもっと涼しくなってくれないかなぁ。 病室に行くと、母は元気がなさそう。昨日白桃の切り身を1つ半食べたら、その後吐いてしまったらしい。ゴミ箱の中に吐いたので、病室にある使い捨てのゴム手袋をして、ゴミ袋を縛って他の場所に置いてほしいと頼まれた。この病院は週末は清掃スタッフが来ないみたいなので、ゴミは月曜にならないと持っていってくれない。ゴミはまとめて縛ってトイレの中に置いておいた。 弁当を食べながら話を聞いていたんだけど、母はいつも痰が喉の辺りにある感じがして、それが吐き気を引き起こしている模様。それでなくても吐き気は母にとって鬼門なのに、それを常時感じていなければならないというのは地獄かもしれない。今まであまり弱音を吐かなかった母が、「苦しい…」と言った。看護師さんがバイタルを取りに入ってきたときにそのことを伝え、痰を抑える薬が出ないか先生に聞いてもらうことにした。 ![]() シューマイ弁当 ![]() うまから棒は、ちょっと余計だったかな しばらく母と二人で話していたら、日曜だというのに先生が入ってきてビックリした。先生によると、腫瘍による圧迫感によって痰があるように感じられるのかもしれないとのことだった。今まで胸に貼っていた痛み止めを、強い点滴に変えた方がいいらしい。その薬には鎮静効果もあるので、人によって効果が違うらしいけど、母はほとんど眠ってばかりになるかもしれないとのこと。だから家族を集めて、点滴を変える前までに話しておかなければならないことを話しておいた方がいいと言われた。 以前こういう話は先生としたことがあるけど、その時が来たかという感じだった。眠ってばかりいるなら食べることもできないので、母は弱っていくだけになる。話があまりできなくなるかもしれないというのは悲しいことだけど、母が吐き気をいつも感じていることの方が可哀想だ。すぐにみんなに連絡して、病院に来てもらうことにした。 二人で待っている間、育ててくれたことに対して感謝の気持ちをもう一度伝えておいた。母も、今までシアトルで一緒に過ごせて、とても幸せだったと言ってくれた。母も死の覚悟はしていたはずなんだけど、ずっと病院でテレビを見ながら生活していると、あそこに行きたいとか、あの料理を作ってみたいとか、「生」に対する執着が出てきてしまったみたいだと言っていた。これ以上ダラダラと死を待つのは辛いので、できればずっと眠っていたいらしい。場合によっては、今日が母と話ができる最後の日かもしれない。もう言いたいことは全て伝えたはずなのに、まだ言い忘れたことがあるような気がして、少し胸がざわざわしていた。母との別れは辛いけど、今となっては母が安らかに逝けるようにと祈るばかりだ。 母が岡山から東京に出てきたきっかけなんかの話をしていると、兄、義姉、姪が到着(甥は結婚式に行っていた)。みんなでしばし話していると看護師が来て、今さっき痰を抑える薬の点滴をしたばかりなので、痛み止めの薬を変えるのは1時間ほど待たなければならないらしい。もうみんな覚悟していたのでちょっと拍子抜けだったけど、その1時間の間に色々なことを話せてよかったと思う。 17時に看護師が入ってきて、いよいよ点滴薬の変更。機械を取り付けたりしなきゃいけないので僕たちは病室の外で待っていたんだけど、10分ほどで全て終了。1時間に1ccという分量からスタートしたらしい。病室に入ると、今まではなかったバイタルを測る機械が繋がれていて、心拍数や血中酸素濃度なんかが表示されている。途中で母が何もしていないのにその機械が鳴り出してビックリしたけど、何かをちゃんと測れていないんだろう。これはナースステーションと繋がっていて、病室でアラームが鳴る必要はないので、看護師が来たときに病室でのアラームは止めてくれた。 ![]() バイタルを監視する機械がつけられた まだ母ははっきりとしていて、病室に置いてあったラップトップやスマホ、それに冷蔵庫の中の物も全部持って帰ってくれと言う。母は本当にせっかちなので、今のうちからきちんと片付いてないと、精神的に気持ち悪いんだろう。今日全て持って帰る必要もないので、いくつかの物は持って帰って、冷蔵庫の中の物は明日にでも片づけることにした。最後に病室を離れるときには、やっぱり悲しかったなぁ。薬が母にどんな影響を与えるか、明日になってみなければわからないけど、こんな風に笑顔で見送ってくれるのはこれが最後なのかもしれない。それでも、「また明日ね」と声をかけて病室の扉を閉めた。 外はもうかなり暗くなっていて、自転車のライトを点けなければいけなかった。どれだけ母と一緒に居られるのかわからないけど、今日母は大きく死に近づいてしまった気がする。でも母はもう覚悟しているし、これ以上長引いたらその方が苦しいと思うので、今では早く安らかに逝ってほしいとまで願ってしまう。こんなことを思う自分を未来には後悔してしまうのかもしれないけど、母が苦しい思いをしないということを一番に優先したい。そんなことを考えながら、暗い道を自転車に乗って家に帰った。 家に着くと、先に病室を出た義姉がちょうど車を車庫に入れているところだった。今日これから夕食の買い出しに行くのも時間がかかるので、今日は外食しようということになった。色々とみんなで迷ったけど、『ステーキのどん』というファミレスに行くことに決定。日曜の夜だから混雑しているかと思ったんだけど、待たずに座れてよかった。 『9月の肉の日』のスペシャルということで、僕は『どんスタージャック(¥1,850)』と注文。ステーキ2種とハンバーグがついた豪華版。飲みたい気分だったので、赤ワインをボトルで頼んで、一人でグビグビ飲みながら食べた。ステーキはなんとか平らげたけど、ハンバーグは全部食べられなかった…。でもこういうファミレス的な雰囲気って本当に久しぶりだ。30年前にフォトンをやっていた時、みんなで近くのすかいらーくに足繁く通っていた時代のことを思い出しちゃうな。 ![]() 不味くはないけど美味しくもない、¥980のボトルワイン ![]() 『どんスタージャック』は美味しかった! 帰りの車の中で母の火葬の話になって、兄がもう葬儀会社と契約してあると言った。確か以前兄がそのパンフレットを持って相談に来た時に、葬儀の3か月以上前に申し込まなきゃいけないようなことが書いてあったので、もし3か月の前に亡くなったらどうするのか電話で聞いてくれと言っておいたんだけど、結局聞かずに申し込んでしまったらしい。「大丈夫なの??」と聞くと、兄は激しい口調で、「しのごの言うな!!」。僕はキョトンとして、「……、え、今しのごの言うなって言った?」と聞くと、ものすごく怒って色々と言ってきた。え、だって、あの時電話で聞いてくれって言っておいたし、もし母が明日亡くなったらその会社が本当にやってくれるのかって、当然の疑問でしょ? もうそんなことを言っても無駄だとわかっていたので、何も言わなかった。同じ車に乗っていた義姉も姪も、すごく気まずそうにしていた。 僕が兄に言うことが、全て攻撃的に思えてしまうのかな? 以前話した時も、すぐに防御にまわってたし。もしかして兄は、僕に劣等感か何か抱いてる? あんなに突然怒り始めるのって普通じゃない。今は母のことで頭がいっぱいなのに、本当に面倒くさいなぁ。これからはなるべく兄には近づかないことにしよう。 家に帰って、義姉が車を車庫に入れて玄関に入ってきたのを聞いて、さっき車の中で険悪な空気になってしまったことを謝りに行った。すると義姉の方から先に、「ごめんねー!」と謝ってこられてしまった。僕も平謝りだったんだけど、義姉が言うには兄は「メンタル弱いから…」とのことだった。義姉も姪も、よく耐えられるなぁ。まあ家族だからこそっていうのはあるのかもしれないけど、あんな兄と長年一緒にやってきた義姉には尊敬の念を抱かざるを得ない。 それから部屋で30分以上、兄のことを考えてた。あの車の中での言動を頭のなかでリピートすると、だんだん怖くなってきた。最近テレビのニュースでよく見る家庭内の殺人事件って、こんなところから始まるんじゃないかとも思った。兄が包丁でも持って部屋に入ってきたら、このバットで対抗するしかないなとか、本気で考えてた。こんな恐怖を感じるのは、生まれて初めて。これからはあまり兄を刺激しないように気をつけなきゃいけないな。 ワインを1本空けたので結構酔っぱらってはいたんだけど、結局23時過ぎまでずっと色々なことを考えた後、消灯した。 (コメント欄はいつも拝見していますが、色々とあるのでしばらくお返事ができないかもしれません。なにとぞご了承を!)
by alexsea
| 2019-09-29 00:00
| 日記
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Comments(8)
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母上は心が強いね。凛としてる。
打たれ強い世渡りをしてきただけはあって、自分なりに死と向き合ってちゃんと脚本立てて計画までしてる。 幼児のように泣きじゃくってしぬのはこわいいやだと駄々をこねつづける事例も珍しくないんだよ、高齢者の終末期は。 こういうケースでは、母上のペースを基本として子供は従う側でいいんじゃないかな。基本は基本なので、時には柔軟に例外もあってよいけれど。 痰がたまるのは衣装がうまく消化物や水分を先へと押せないので、水分が血中に行かないからだね。漢方医学では、胃内停水と呼ぶ。まだ漢方薬が飲めれば、半夏厚朴湯や人参湯で改善するけど…すでに無理だよね… 膵癌は転移しやすい位置にあり、膵癌の腫れの悪化だけで呼吸器を圧迫する位置ではないので、すでに転移があちこちに進んで、リンパがんや肺がんが増長し始めて気管支圧迫してることもあり得る。すでにCTなどのモダリティ検査はしてないだろうから、主治医でも正確なことはわからないんだよ。 経験者だからはっきりいうが 治る見込みがあり若いうちのがん闘病は、希望があるので耐えられる。 老人ばかりの終末期病棟の話を聞くにつれ、そのような明るさは微塵もなく、長年勤務する看護師らの心のほうが擦り切れてしまうそうだ。 はっきりいってケモラジ療法での嘔吐は、いまの母上の嘔吐の繰り返しよりつらい。ケモの嘔吐だけですっかり衰弱しきってしまう老人は多い。毛髪は全て抜けて、全身の細胞が抗がん剤で痛めつけられて老け上がる。小児がんがもし治ってもその子はどこか老けた一生を過ごす。 希望の材料はあまりないのだけど、「それなりに」「無理をせず」最期まで付き合ってあげてください。 完璧などいらない。むしろ失敗やみっともなさや後悔ばかりでいいいんです。 肉親が闘病で死ぬ仕事ばかり、何十年も勤続できる人がいたら別ですが。そういうひとならプロとして完璧に過ごさないとね。そんな人はいない。 裁判も、闘病の看取りも、人生で1~数回しかない。失敗だらけ後悔だらけが当たり前。 どこか、いきたいところへ後一回でもつれていけるとよかったかもね。いや本人としてはそうではないのかもしれないが。
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ステーキの話しよう
蓮田に昔からの店、ペコペコがあるよ 県道さいたま栗橋線で一本道。 ステーキハウス ペコペコ 蓮田店 埼玉県蓮田市大字閏戸420−1 いきなりステーキも、各地の駅チカにあるから寄ってみては。 リーズナブルから最高級和牛までかなり幅がある。 最寄り いきなりステーキ アリオ鷲宮店 埼玉県久喜市久本寺谷田7−1 アリオ鷲宮1階
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