![]() From Seattle, WA, USA
by Alex プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。 ● 詳しいプロフィール ● 旅行記メニュー (個人的に連絡を取りたい方は、メールアドレスの入ったメッセージを非公開コメントとして残していただけると嬉しいです) カテゴリ
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一番キツイ日
消灯してからすぐに寝つけたんだけど、1時半過ぎに起きてしまって、それから5時頃まで全然眠れなかった。5時過ぎになるとみんな起き出してくるので、耳栓をしないと眠れない。でもその後は8時半くらいまでブツ切れだけど眠ることができた。
今日のお昼はどうしようかと思ったんだけど、このところ行ってなかった『紅葉(くれは)』でとんかつを食べようかな。12時過ぎに家を出て紅葉に着くと、もう結構な人で賑わっていた。ほとんどが女性客だったけど、場所による男女の比率の差って面白いよね。吉野家やSガストだと、ほとんど男性客になるもんな。今日は前から気になっていたミルフィーユとんかつランチ。薄い豚肉をいくつも重ねてとんかつにしてある。ロースを使っているのか、結構脂身があって柔らかジューシーだったけど、そのせいでちょっと重いや。特に塩で食べると油の重さが際立って感じてしまうので、ほとんどソースで食べてた。ここの油のせいなのか、それとも揚げ方なのか。ここよりも美味しいところはたくさんあるので、紅葉でのとんかつはもうないかな。 ![]() ミルフィーユとんかつは少し重かった それから自転車をこいで病院に向かったんだけど…、今日ほど足が重い日はなかった。病院に行くのが嫌で嫌でたまらない。たぶん昨日点滴を変えたことによる母の変化を、実際にこの目で見るのが怖いんだろう。いつもは一生懸命こいで行く道も、ほとんど慣性に任せて移動していた。こんなに気が乗らないのは初めてだ。 病室に入ると、今まではいつも点いていたテレビが消えていて、その横に大イビキをかきながら寝る母がいた。まじまじと寝顔を見たことなんて子供の頃以来なかったけど、全てが弛緩したような顔で寝る母は、まるで別人のように思えた。歩き回って音を立てても、全然起きる気配がない。やっぱりこれからは、眠っているのが普通になっちゃったんだね。時々無呼吸になるのか、母に取り付けられたバイタル計測器がアラームを鳴らすことが多々あった。昨日看護師さんがアラームは止めてくれたんじゃなかったっけ? でもアラームを聞くことで無呼吸状態から抜け出せるのかもしれないから、そのままにしてあるのかな? ![]() 色々な装置で物々しくなった病室 なんていう薬を使っているのが興味があったので装置を見てみたら、これってモルヒネじゃん! 昨日看護師は「麻薬じゃないです」って言ってたのに、これはれっきとした麻薬だよ。まぁ悪い意味の麻薬じゃないけどね。末期がんの患者には、痛み止めとしてモルヒネを使うのが普通らしいことは聞いていた。でもなんで薬品名をちゃんと言ってくれなかったんだろう? 悪いイメージがあるからなのかな? ![]() いよいよモルヒネかぁ… しばらく母のイビキとアラームだけが響く部屋で日記を書いたりしてたんだけど、いやはや、これは辛いよ。母を見ると、昨日に比べて確実に一歩死に近づいていることは明白だ。たまに無呼吸になる度に、そのまま呼吸が止まってしまうんじゃないかと心配になってしまう。でも母自身は吐き気も圧迫感も感じずに寝ていられるから、この方が楽なんだろうな。それでもやっぱり、この状態の母を見ているのはキツイ。 途中で点滴や薬の装置のチェックに来た人がいて、その時に母が目を開けた。ああ、起きることはできるんだ。パッチリ開いた目は天井を見つめていて、「大丈夫?」との問いには、ちょっとだけ頷いてくれた。こんな表情は見たことがない。明らかに薬でボーッとなっているんだろう。今までと違う表情が怖かったけど、ちゃんと起きて少しは意思の疎通もできるということに安心した。 途中からテレビを点けて、いつものチャンネルを一人で見ていた。クッキングショーの後は『遺留捜査』、それに引き続き『ドクターX』。今日は母と一緒にはテレビは見られないとか、昨日までとは違うことをあれこれ考えてしまう。これからどんどん状態が変化していくだろうし、死も本当にすぐそこまで来ているのかもしれない。いつまでも同じでいられるわけはないんだから、僕も覚悟しておかないと。 もうそろそろ帰ろうかという頃になって、甥がお見舞いに来てくれた。昨日は結婚式で来れなかったんだけど、今日は病院に来る用事があったので寄ってくれたらしい。母も目を開いたので、手を握って「僕もそばにいるからね。Tくん(甥)も来てくれたよ」と言うと、母は目に涙を浮かべて、「ありがとうね。ありがとうね。優しいねぇ」と言いながら甥の手を握った。薬のせいで、感情的になってしまってるんだろう。僕も涙が出るかと思った。薬のせいでちょっとしどろもどろな感じだけど、ちゃんとはっきりとした会話ができていたことが嬉しかった。 甥が帰った後は、僕はティッシュで母の涙を拭いてあげて、ちょっと手を握っててあげた。母は僕にもしきりに「ありがとうね。大丈夫だからね」と言ってくる。僕も「ちゃんと話ができるみたいでよかった。安心してゆっくり眠ってね」と言っておいた。もっと動揺して泣いてしまうかと思ったんだけど、母を安心させる方に気が行っていたのか、結構大丈夫だった自分にちょっとビックリもした。昨日持って帰れなかった冷蔵庫の中の物をバックパックに入れた後、母の手を握りながら「それじゃ今日は帰るけど、また明日来るからね。ゆっくり休んでね」と言うと、また母は涙目になりながら「ありがとうね」と何回も言ってくれた。 病室を出る時、母が「ありがとうね。さようなら」と声をかけてきた。「さようなら」なんて今まで一度も使ったことがない言葉だ。まだ本当のお別れには早いんじゃないかと思ったけど、こういう状態になった以上、いつその時が来てもおかしくはない。毎日病室を離れるときには、覚悟しなきゃならないのかもしれない。 病院を出て家に自転車で帰る時、心が悲しみでいっぱいになった。涙は出なかったけど、道ですれ違う人がいたら、泣きそうな顔を見られていたかもしれない。母は今まで段々と階段を下りるように弱くなっていったけど、昨日から今日にかけては特大の段を飛び降りた気がする。母は今週の誕生日まで生きていられるんだろうか? 今日が今までで一番キツイや。あーもう何もかも終えて、早くシアトルに帰りたい。今すぐにでも帰りたいよぉ! 今回日本に来てから、初めて弱音を吐いてしまった。 家に着いた後は、チューハイをガブ飲みしながらウェブサーフ。少し気を紛らわせないといけない。でも、いまだにパニックアタック用の薬を使わなくて済んでるっていうのは嬉しい。しばらく横になってウトウトしたり、テレビを見たり、ウェブサーフしたりして時間をつぶした 夕食はキムチ味の鍋。義姉と姪がお見舞いに行ったら母は起きて、キムチ鍋にしなさいとか言ったらしい。それって自分が食べたいものじゃん!(笑) でももう母は食べられないので、母の分まで美味しく味わわせてもらった。やっぱり最後にラーメンを入れるってのは必須だと思う。 ![]() 美味しい鍋 食事の後は、部屋でずっとウダウダ。なんだか今日はあまりテレビを見る気にもならないんだけど、一応点けておくと気が紛れる。消せるボールペンの開発秘話みたいな番組をやってて、それは面白かったな。 日記を書いて、12時過ぎに消灯。
by alexsea
| 2019-09-30 00:00
| 日記
|
Comments(3)
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追伸?補足?
またアニメで大変に恐縮だが、 バーツの逸話と概念は共通。 http://www1.u-netsurf.ne.jp/~suemura/vifam/vimp/vimp34.html 「ああ、そのことか。下手な気休め言ってごまかすより、きっぱり言ったほうがいいと思ってさ。俺だってあのチビどもと同じさ」 マルロが「スコットさん、ママやパパにいつ会えるの?」ときく。スコットは返事に窮しながら「もうすぐ」と答える。「もうすぐってあした?」「と、とにかくもうすぐさ」が、バーツは「そいつは約束できねえな。これからは毎日が戦場だ。小さい子だからって変に期待を持たせないほうがいいぜ」そうしゃべるバーツを見つめるマキ。ロディも軽くとまどいながらも、「バーツの言うとおりかもしれないな」と。バーツは「今は何も考えずに安心してメシ食って寝ろや」とつけ加えた。 ◇ 私自身、小児がんの小4じゃ事実なんかムンテラされないから。隠し事だらけだった。病期の進行次第で骨髄移植で一生障害者とか早死なんて分岐があったのを知ったのは最近のカルテ開示請求でだ。 でも深夜のナースステーションしのびこみで自分の正しい病名は当時から知ってた。でハイコンプリートバイファムが飾ってあるベッドへこっそり帰っていく。
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