![]() From Seattle, WA, USA
by Alex プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。 ● 詳しいプロフィール ● 旅行記メニュー (個人的に連絡を取りたい方は、メールアドレスの入ったメッセージを非公開コメントとして残していただけると嬉しいです) カテゴリ
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ヨルダン&エジプト2022: ヨルダンという国
朝6時に起床。実質3時間しか寝てないことになるけど、結構ぐっすりと眠れた。今日から新しい国での冒険が始まるというワクワク気分のせいか、それほど疲れは感じなかった。
昨日は見えなかったけど、部屋の外にはすぐ隣のビルがあって、景色は全く良くない。それでも普段の旅行ではホテルにはあまりお金をかけない方針なので、細かい不安はいくつかあるとはいえ、このホテルはとてもいいと思った。なにしろWi-Fiが安心して使えるのは嬉しい。 朝食はビュッフェ形式。なかなかのセレクションがあって驚いた。主にツアーで使われるホテルみたいで、レストランはツアー客で満杯。フランス語やポルトガル語など、たくさんの言語が飛び交っていて面白い。 ![]() 朝食のビュッフェはなかなか 今日はヨルダン東部にある、昔の城の遺跡から観光を始めることになっている。8時にバスに乗りこんで、2つのホテルでツアー客をピックアップしていった。どうやらこのツアー、アンマンでは4つのホテルに分かれているらしい。総勢29人だったかな? 予想していたよりも多いツアー客だったので、少し不安になったりした。クラクションの音がうるさく鳴り響くアンマンの街は、まるで車線がないかのようにたくさんの車が右に左に動き回っている。かなり混沌としていて、この国では僕は絶対に運転はできないと思った。 とても賑やかなアンマン市街を抜けると、後はもうほとんど何もない砂漠ばかり。砂漠といっても砂丘のようなものではなく、石や砂ばかりのゴツゴツとした茶色い大地がどこまでも広がっている。有刺鉄線で覆われている建物が途中見えた時、なんか刑務所みたいだなと思っていたら、ガイドのFahad(ファハッド)が刑務所だと教えてくれた。こんな何もない場所では、脱走しても逃げるのが難しいんだろう。昔ラスベガスからデスバレーに向かって車を走らせていた時に、やっぱり何もない砂漠の中に刑務所のサインがあったことを思い出した。この砂漠の中で刑務所以外にあったのは、ヨルダンの軍隊施設のような場所だけ。Fahadによると、こういう場所でトレーニングをしているらしい。撮影禁止のサインが掲げてあった。 ![]() いきなり羊の群れが現れたり ![]() こんな何もない景色がずっと続く 途中でイラク方面とサウジアラビア方面に道が分かれている場所があって、その道路標識の撮影のために5分間だけ小休止。どちらもニュースではよく聞く国だけど、本当にすぐ近くまで来ているんだなと、感動すると共にちょっと神妙な気持ちにもなった。 ![]() 左はイラクへ、右はサウジアラビアへ 約2時間のバスの旅の後、バスはアズラック(Azraq)の町を抜けて、アズラック城(Qasr Azraq)に到着。ここは最初ローマ時代に戦略上の重要拠点として要塞が建てられたんだけど、その後何度も改築が繰り返されてきたらしい。石造りの塔のような入口を抜けると、中は一辺50mほどの四角形の場所。石造りの要塞という以外何もない場所なんだけど、映画『アラビアのロレンス』で知られるT.E.ロレンス(発音は「ローレンス」なんだけどなぁ)とファイサルも、一時期ここに滞在していたことがあったらしい。このツアーのために『アラビアのロレンス』を観ておいたので、その主要人物たちがいた場所と同じ所にいるということに感動。こういう場所ではいつも思うんだけど、時間を巻き戻して当時の人たちがここで何をしていたか実際に見ることができたら、どんなにいいことだろう。遺跡ではいつもドラえもんに頼りたくなってしまう。 ![]() 石造りの入口 ![]() 中の広い場所はどんなことに使われていたんだろう? ![]() ロレンスとファイサルが滞在していたらしい場所 この後はまたバスに乗り込み、約30分来た道を戻ってアムラ城(Qasr Amra)へ。ここは8世紀に隊商宿として使われた場所。中には浴室があって、地下水を引いてそれを温めて風呂にしていたらしい。フレスコ画が綺麗に残っていることでも有名。修復されてきたんだろうけど、色鮮やかなフレスコ画で満ちた内部はとても素晴らしかった。ガイドのFahadによると、フレスコ画が綺麗に残っているのは、壁が半分乾いたところに描いたかららしい。 ![]() ドームが美しいアムラ城 ![]() 地下水を汲み上げていたらしい井戸 ![]() 中は色鮮やかなフレスコ画でいっぱい! ![]() 細部までよく残っているのにはビックリ また30分ほどバスで戻って、今度はハラナ城(Qasr Al Kharanah)へ。大地にドーンと建つその姿は、時代の重みを感じさせてくれる。ここが何の目的で使われていたかということに対しては色々な説があるらしい。二階建てになっていて、かなり綺麗に修復されていたのには驚いた。こういう場所を修復するのって、昔の設計図があるわけじゃないし、どのくらい想像が入っているんだろう? ![]() 迫力のあるハラナ城 ![]() この辺りの遺跡の中で、一番綺麗に修復されているらしい ![]() この部屋では当時どんなことがあったんだろう? この後はずっと今日来た道を戻って、アンマンを通り過ぎ、その西にある死海まで1時間半のバスの旅。死海のO Beach Hotel and Resortに着いたのは14時を過ぎてから。ここではまずランチ。朝食以来何も食べていなかったので、お腹が空いちゃったよ。 ![]() リゾートの入口のサインには、 死海の海抜がいかに低いか説明してある ランチもまたビュッフェ形式。たくさんの料理があって楽しかったけど、チキンとか具がたくさん入ったライス料理が美味しかったな。ヨルダン風チャーハンなんだろうか? このツアーでは朝食も夕食もついている日が多いけど、昼食はほとんど自分持ち。ここのランチは12JD(=$17)で、飲み物が2JD(=$3)。観光客価格なんだろうけど、ヨルダンの物価はそれほど安くはない。 ![]() ビュッフェのセレクションはなかなか ![]() 死海を見ながらのランチは、とてもリゾート感覚 ランチでお腹を満たした後は、いよいよ死海へ! 貸しタオル3JD、ロッカー3JDの合計6JD(=$8.50)を払ってから、水着に着替えてビーチまでの長い階段を下りていく。ビーチといってもホテルのすぐ下の結構小さなエリアだけ。いくつかあるビーチチェアーにタオルを置いて、早速水の中に入っていこう。 ![]() 結構長い階段を下りていく 「死海(Dead Sea)」といっても、これは湖。海抜マイナス400mで、世界で一番海抜が低い湖らしい。普通の海の塩分濃度が3%程度なのに対し、死海はその10倍の30%にもなる。大きな比重と浮力のため、水の中で簡単に体が浮くことで有名だ。死海に浮いて新聞を読んでる写真はよく見かけるよね。ガイドの話によると、気候変動のためか死海は年々小さくなっていて、近い将来には消えてしまうんじゃないかと言われているらしい。「まだ死海があるうちに来れて、みなさんはラッキーです」と言っていたのが印象的だった。 ![]() 有名な死海に来ることができた! 水の温度はちょうどいい感じだったんだけど、水の中にはゴツゴツとした石や岩がたくさんあって、足の裏がすごく痛い。大きな岩の場所を選んで水に入っていったんだけど、サンダルを持ってこなかったことを後悔した。それに波が荒すぎ! プカプカ浮かんでる人も何人かはいたけど、多くの人は波に翻弄されて何もできないでいた。僕もその一人。とにかくゴツゴツした石が痛くて、それに時々大きい波に体が倒されそうになるし、静かに浮かぶどころの騒ぎじゃない。波が跳ねて目を直撃した時にはすごく痛かったし、口に入った水は塩辛さを通り越して苦く感じた。しばらくの間挑戦してたんだけど、ここで波に引きずられて足に怪我でもしたらこれからの旅に差し支えると思って、仕方なくリタイヤすることにした。浮くことはできなかったけど、水に入っただけで満足しておこう(後でわかったことなんだけど、ここで実際にツアーの何人かが怪我をしたらしい)。シャワーを浴びて塩水を洗い流してから、今度はKoreyが挑戦するのを見てたんだけど、やっぱり彼も同じ感じで波に翻弄されて浮くことができず、同じツアーの女性が手を差し伸べて助けてくれていた。 ![]() 波に翻弄される僕 ![]() こんな塩の塊があちこちにあった 更衣室でもう一度シャワーを浴びて着替えたけど、とにかく暑い! このリゾートにはプールもあるので、そのプールサイドのバーでファンタ休憩をすることにした。イスラム圏ではアルコールを売っている場所が少なく、このバーもノンアルコールのビールしか売っていなかった。Koreyはそれを買って飲んでたけど、味はまあまあ良かったらしい。 初日からやること満載の旅程もこれでおしまい、と思いきや、帰りにお約束のショップ訪問が待っていた。バスはDead Sea Gatewayというショップに止まって、死海の泥パックやコスメ製品のデモンストレーションを見せられた。「このツアーの人には特別に50%オフ!」らしいけど、たぶんいつもそうなんだろうな(笑)。 この後はホテルに直行するんだと思いきや、いきなりバスは途中でUターン。なんでもツアー客の一人が腕時計をビーチに忘れたらしい。…ツアーだと、こういうこともあるよね。さっきのショップまで戻って、そこでリゾートからの車を15分くらい待つことになってしまった。その間、ガイドのFahadはショップでヨルダン名物らしいゴマのクッキーを買ってきて、ツアーバスの中で配っていた。たぶん僕たちを待たせたお詫びなんだろう。腕時計は結局ツアー客の手に戻ったらしいのでよかったんだけど、その本人はあまり悪びれた様子もなかったのが気になった。育ってきた文化の違いなのかもしれないな。 このまますんなりホテルまで戻れると思いきや、アンマンに入った途端に交通渋滞。ラッシュアワーだからなのかもしれないけど、すごくノロノロ運転になってしまってイライラした。窓から外を見ていると、交通整理をやっていたらしい警察官が、道の横でひれ伏してお祈りをしていた。イスラム教のお祈りの時間なんだろう。他にそういう人は見当たらなかったんで、あの警察官はとても敬虔なイスラム信者なんだろうな。文化の違いを肌で感じた一瞬だった。 結局ホテルに帰り着いたのは20時をまわってから。シャワーを浴びてから、ホテルのレストランで夕食。朝食と同じくビュッフェ形式なんだけど、いまいちなセレクションだったのでちょっとガッカリした。ヨルダンでも米をたくさん食べるみたいなので、それは嬉しかったな。 ![]() 夕食のビュッフェはちょっと残念 この後は旅行記を書こうと思ってたんだけど、超絶な疲れが襲ってきてすぐにベッドに入ることにした。昨日は3時間しか寝てないし、今日はフル観光をしたので当たり前かもしれないな。でも明日は移動日なので、5:30に起きて荷造りしなきゃいけない。結構体力のいるツアーだ(笑)。
by alexsea
| 2022-10-30 00:00
| 旅行記
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