プロフィール
シアトル在住のAlexです。
ソフトウェアデベロッパーをやっていましたが現在は休憩中。日本にいるときには役者をやってたりしました。歌ったり踊ったり、食べたり飲んだりが大好きです。

詳しいプロフィール
旅行記メニュー

note: https://note.com/alexsea

(個人的に連絡を取りたい方は、メールアドレスの入ったメッセージを非公開コメントとして残していただけると嬉しいです)
カテゴリ
[一覧] 旅行記
日記
旅行記
エッセイ
パリ生活2018
夢日記
映画・DVD
レストラン
過去日記
以前の記事
2025年 11月
2025年 10月
2025年 09月
2025年 08月
2025年 04月
2024年 12月
2024年 11月
2024年 10月
2024年 09月
2024年 08月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 03月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 06月
2022年 04月
2021年 12月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2016年 10月
2016年 08月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 04月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 10月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 10月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 05月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月
2004年 10月
2004年 09月
2004年 08月
2004年 06月
2004年 05月
2004年 04月
2004年 03月
2004年 02月
2004年 01月
2003年 12月
2003年 11月
2003年 10月
2003年 09月
2003年 08月
2003年 07月
2003年 06月
2003年 05月
2003年 04月
2003年 03月
2003年 02月
2003年 01月
2002年 12月
2002年 11月
2002年 10月
2002年 09月
2002年 08月
2002年 07月
2002年 06月
2002年 05月
2001年 03月
2001年 02月
2001年 01月
検索
ブログジャンル


日本2025: 子供時代から役者時代の思い出

夜中の2時過ぎ、ホテルのすぐ裏のバーの外にいるらしい女の子の声で目が覚めた。何を言っているのかわからないけど、たぶん英語圏の子だと思う。楽しく酔っているらしく、喋りだしたら止まらないという感じ。頭に響く音階で途切れることなく喋り続けていて、なぜかそれが不安を誘ってミニ・パニックアタックが起こりそうになった。部屋の窓は開かないようになっているので、新鮮な空気を吸うことができない。仕方がないのでジーンズを履いて上着を羽織り、ホテルの入り口から外に出た。冷えた空気を深呼吸すると、ザワザワした心が落ち着いてくるのがわかる。最近はパニックアタックが起きる回数が減ったとはいえ、まだ時々経験するので油断はできない。今回は飲まなくて済んだけど薬も持ってるし、対処方法もだいぶわかってきたのでそれほど心配ではない。一番怖いのは、「また起こるんじゃないか」という不安が不安を呼ぶ悪循環なんだよね。

ホテルの入り口にある自動販売機で冷たい飲み物を買って、飲み終わる頃にはもう完全に落ち着いていた。あの女の子がまだ喋り続けていたら嫌だなと思いながら部屋に戻ると、人々の話し声は聞こえるけど、頭を引っ掻くような声はなかったので安心した。それ以降は朝までぐっすりと眠れた。

朝は銀座でちょっと友達に会って朝食を食べた後、その後は新宿まで戻って京王線で聖蹟桜ヶ丘まで行き、4歳くらいの時に住んでいた団地を訪れる。その頃は『多摩ニュータウン』と呼ばれる場所だった。前に訪れたのは2007年だったので、しばらくぶりにまたあの辺りを散策したかったんだよな。住んでいた団地には京王永山駅の方が近いんだけど、当時は聖蹟桜ヶ丘からバスに乗っていたので、今日は昔の足取りを再現してみたかった。

聖蹟桜ヶ丘の駅からバスに乗って、景色を記憶と照らし合わせる。川を渡る時の景色はおぼろげに覚えているんだけど、当然だけど今の街並みはすっかり変わっているみたいで、記憶にない景色ばかりだった。15分ほどでバスを降り、そこから5分ほど歩いて、昔住んでいた団地に到着。たぶん何度か改装されているんだろう。昔は白い団地だったと思うんだけど、今は違う色になっていた。でもここに住んでいたことは確か。団地の前の坂で兄の自転車に2人乗りして、足のかかとを車輪で擦って怪我をしたことがあったよな。痛くて大泣きした覚えがある。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13014968.jpg
バスを降りた辺りはそれほど変わっていない

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13015168.jpg
この団地の中ほどに住んでいた

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13015245.jpg
団地の入り口で兄と一緒に

団地の裏の広場は、補助輪なしの自転車の乗り方を練習した場所。最初は母が後ろを持って押してくれて、声が聞こえなくなったなと思って振り向いたら20mほど後ろに母がいて、その時初めて補助輪なしで自転車に乗れていることに気づいたんだった。あの時に見た母の笑顔は、今でもはっきりと思い出せる。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13015442.jpg
あの広場で自転車が乗れるようになった

前に来た時にも感じたけど、あんなに遠くに感じていた保育園までの道が、今となってはとても近く感じる。この保育園までの道は、前に夢に見たことがある。夢の中では右側は増水して荒れ狂う川になっていて、あまりにも怖くて母に泣きついていたんだった。あの夢の中の暗い風景は、今でも忘れられない。それほど印象に残った夢だった。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13015677.jpg
保育園までの道は夢にまで出てきた

保育園は記憶のままだった。でも昔の写真と見比べてみると、前は1階建てだったのに、今は改築されて2階建てになっていることに気がついた。そりゃあれから50年以上も経っているんだから、改装・改築はするよな。ここには大学時代にも来たことがあるけど、その時は建物を懐かしそうに見ていたら、中から昔の先生が「難波くん?!」と言って出てきたことがあった。職員室でお茶を出されて色々と話をしたけど、覚えてくれていたことがすごく嬉しかったなぁ。小学校に上がる時に引っ越したので、どうして大学生の僕を見分けることができたのか不思議だったんだけど、『1年B組新八先生』なんかを見て僕の芸能活動を追ってくれていたらしい。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13015888.jpg
僕が通っていた保育園

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13015984.jpg
あの頃からほとんど変わっていない気がする

この保育園に通っていた時は、最初は嫌で嫌で泣き叫んでいた記憶があるけど、僕の中の色々な感性を広げてくれた場所だったと思う。キリスト教系の保育園らしくて、キリスト教のこともちょっと学んだ覚えがあるし、クリスマスには風呂敷を被ってカフィーヤに似せてイベントに参加した時の写真もある。今から考えてみると、たくさんの思い出がつまった場所だったな。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13020124.jpg
クリスマス会にはカフィーヤもどきを被って。
(僕は一番右側)

保育園近くの庵れすとというレストランでランチ。うどんがメインの場所らしいけど、僕は生姜焼き定食を頼んだ。まぁこれも美味しかったけど、母が作ってくれた生姜焼きの方が上だったな(笑)。でも生姜焼きなんて随分久しぶりだったので、とても懐かしかった。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13020253.jpg
ここは前に来た時にはお寿司屋さんだった気がするな

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13020433.jpg
生姜焼き定食(¥800)

この後はまた近所をぶらぶらして、もうすぐ閉店してしまうらしいお菓子屋さんで黒糖どら焼きを買ってデザート代わりに食べた。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13025985.jpg
どら焼きを立ち食い

帰りは京王永山駅から電車に乗る。昔のメモリーレーンを歩いているついでに、高3と大学1年の時に住んでいた家の周りも見てみることにしようかな。千歳烏山で各駅停車に乗り換えて代田橋へ。駅の周りの店は色々と代わっているみたいだけど、雑多な感じは昔のまま。住んでいた家の前の商店街は、僕がここを離れた後に『沖縄タウン』としてリニューアルされていたことは知っていたけど、この日は人通りが多くてビックリした。前に来た時には、もっとひっそりした感じだったのにな。僕の家の隣にあった中華料理屋は閉店してしまったみたいで、ちょっと悲しい。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13030163.jpg
昔住んでいた通り

ここら辺でちょっと休憩。来夢来人(らいむらいと)というカフェに入って、コーヒーフロートを注文した。ここは僕がこの辺りに住んでいる時にはなかった店だと思う。1杯ずつドリップで淹れてくれるらしく、少し時間がかかるとメニューに書いてあった。出てきたコーヒーフロートは、明らかにコーヒーの香りと味が違う。コーヒー豆を煎る時みたいな香ばしい匂いがして、味も洗練されていてすごくクリアだ。こんなに美味しいコーヒーフロートは初めて飲んだよ! スターバックスなんかのコーヒーに慣れちゃってたけど、ちゃんとしたコーヒー専門店の味はこんなにも違うものなんだなぁ。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13030331.jpg
このコーヒーの美味しいこと!

代田橋の家には、僕が洋楽にどっぷりとハマっていた時代に住んでいたので、近所に貸しレコード屋があったのはとてもラッキーだった。足繁く通って洋楽のレコードをたくさん借りていたなぁ。あそこで働いていたマコトさんたち、元気だろうか? その貸しレコード屋の向かい側にはゲームセンターがあって、そこではリブルラブルにお金をつぎ込んでいた記憶がある。いやはや懐かしい…。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13030576.jpg
この通りの右側のどこかが貸しレコード屋だったんだよな

ここからは地下鉄の方南町の駅まで歩いて、丸ノ内線に乗ってホテルに戻ろう。近くのコンビニで入浴剤を買って、帰ってすぐにお風呂でゆっくり。ちゃんと自分で足をマッサージして、疲れが溜まりこまないようにしなきゃ。

今夜は、僕が20歳の時にミュージカルに客演させてもらった、三ツ矢雄二さんの劇団プロジェクト・レヴューの人たちと宴会がある。去年同じ劇団の40周年大同窓会があったことは聞いてたんだけど、それには参加できなくて残念だったんだよな。今回は来れる人だけということで集めてもらって、僕を含めて8人の宴会になった。場所は日本料理 三平という場所。ビールや巨峰サワーなんかを飲みながら、美味しい居酒屋料理を堪能した。ちくわ磯部揚げは超懐かしい味で泣きそうになったし、白海老の唐揚げはかっぱえびせんのような風味でやめられなくて止まらなかった。こういうのはアメリカでは絶対食べられないので、しっかりと味わっておかないと!

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13031295.jpg
懐かしい居酒屋の料理たち

僕が日本を離れてから会ったことがある人は、この中で2人だけ。他の人たちとはもう35年ぶりくらいの再会なので、宴会に行く前までは顔がわかるかどうか心配だったけど、全員ちゃんと記憶にある人たちでホッとした。舞台の稽古の時の話とか、客演する前に習っていたジャズダンスの教室のこととか、この間亡くなった松野太紀くんのことも色々と話した。僕が持っていた当時の写真をスマホでみんなに見せたら、すごく盛り上がった。でも残念ながら、そういう写真はほんの数枚しかない。当時スマホがあったら写真やビデオを撮りまくって、いい思い出になってただろうなぁ。今の世代が羨ましいや。2時間半くらい喋って飲んで食べて、本当に楽しい宴会だった。セッティングしてくれたAちゃん、本当にありがとう!

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13031460.jpg
昔の役者仲間と!

実は今日この後まだ予定がある。シアトルで知り合ったDが友達と日本に来ているということを聞いて、ぜひ会おうということになった。彼とはきっかり30年前の4月に知り合ったんだけど、もう20年くらい会っていなかったんだよな。日本でシアトルの友達に会うのって、すごく不思議な感じ。3人でバーに行って2時間近く一緒に飲んで、これまた最高に楽しかった。前の宴会と合わせてかなりの量のお酒を飲んでいたはずだけど、不思議とあまり酔った感覚はなかった。無意識にセーブできているのかもしれない。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13031611.jpg
久しぶりに再会したシアトルのD(中央)と飲んだ飲んだ!

大通りまで彼らを送った後、目に入ってしまったのが大阪王将の看板。店先には美味しそうなチャーハンや餃子の写真が! ダメだダメだと思いながら、気がついたら入店していた。日本のチャーハンや餃子を食べられる機会なんて滅多にないんだから、これでいいんだと自分に言い聞かせながら(笑)。五目チャーハンと餃子3つを注文。チャーハンはこの間の兆徳のには敵わないといえ、とても美味しくて満足のできる味だった。餃子も当然のように美味しかったし。酒を飲んだ後に食べる夜食の、この満足感と背徳感がたまらない。

日本2025: 子供時代から役者時代の思い出_d0113429_13031744.jpg
夜食はとても美味しかった

ホテルに戻ったのは0時半。今日はまさに子供時代から大人時代までの懐かしさに溢れた1日だった。今日の歩数は18,504。明日はいよいよ、今回日本に来るきっかけとなったメインイベントの日だ!
by alexsea | 2025-04-19 00:00 | 旅行記 | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 日本2025: アニメ『タッチ... 日本2025: 懐かしのハング... >>